皆さんは、お正月はどうお過ごしになられましたか?
旅行にいかれたのでしょうか?田舎に帰られたのでしょうか?
このコラムが今年初めてのコラムとなります。
今年もコラムのご愛読、カウンセリングサービスを宜しくお願いします。
今回は3年ほど前の手紙のお話をします。
僕の父親方の田舎は隠岐ノ島というところになります。
隠岐ノ島へは、ゲゲゲの鬼太郎の生みの親 水木シゲルの出身地である,
鳥取県の境港というところからフェリーに乗って約2時間すると行くことができます。
もちろん飛行機でも行くこともできます。
隠岐ノ島は、島全体が国立公園に指定されており、
海岸を見渡す景色は絶景で、なかでも巨大なナイフで垂直に切り取ったような高さ257mの大絶壁の、
『摩天崖(まてんがい)』から見る景色は最高です。
海も透き通っており、釣り好きな人には天国といえるくらいお魚がよくつれます。
夜には小さな星々が無数に輝いています。
僕の田舎は海が澄んでいて、景色は絶景で、星もきれいな観光地ですから
友人からはとてもうらやましがられます。
「へ〜いいな、いきたいな〜」「うらやましぃ〜」といってくれる人が多くとてもうらやましいみたいです。
中には、「来月つれていって、約束、なっ、なっ」と一方的に約束をとり付けていくほどうらやましがってくれる人もいるほどです。
しかし、しかしです。
僕はこの人もうらやまがる父親の田舎にかえるのが腰が重く、
3年に1回ほどしか帰ることは、ありませんでした。
隠岐ノ島の祖母から「今年は帰ってくるんかねぇ?」と電話がかかってきても、
「う、う〜ん、えっ?ん〜、今年はまだ帰るかわかれへんねん」
と言ってしまいます。
祖母にしてみれば帰ってきてほしいと思ってるんだろうなぁと、
頭では分かっているのだけど何でこんなに腰が重いのだろうと、思いました。
海はきれいだし、食べ物はおいしいし、帰ればいたれりつくせりだし、
腰が重い理由はないのだけどなぜだろう???と思いました。
その答えは僕が幼い頃の、祖母のイメージにありました。
僕の母と祖母の間に世間一般でいう嫁姑問題で、母にきびしいことをいうおばあちゃんは冷たい人というイメージが小さいころにあったようで、
大人の頭で”優しくて、僕のことを大好きなおばあちゃん”と理解していても、
子供の頃感じた冷たいイメージや感情が大人の行動に影響をあたえてました。
「田舎に帰るのは腰が重い、帰りづらい」の正体は、おばあちゃんとの心理的距離が遠かったというのが正体でした。
ということは、田舎に近づくということは、
おばあちゃんに近づくことができれば、田舎にも近づきやすくなり腰も軽くなるということだと、
自己心理分析をした僕は、おばあちゃんに近づく作戦をたてました。
おばあちゃんに冷たいイメージをもっていて近づきにくいのだから、
おばあちゃんのよいところをどんどん探して手紙に書いて伝えることにしました。
そして手紙にやさしいおばあちゃんをもてたこと、
素敵な田舎をもてたことを書いておくりました。
手紙を変えて1週間ほどすると隠岐ノ島のおばあちゃんから手紙がきました。
その手紙は達筆なはずのおばあちゃんの字がミミズのはったような字で書かれていました。
僕が送った手紙を読んで、自分のいいところを見てくれて嬉しかったこと、田舎のことを思い出してくれて嬉しかったことが書かれていました。
そしてところどころの文字がポツリ、ポツリと落ちた水滴の跡でインクが
にじんでいました。
たぶん嬉しくて涙がこぼれたのでしょう、そしてミミズのはったような字も、嬉しくて涙が浮かんできて、感動して手を震わせながら書いたのかもしれません。
そう思いながらおばあちゃんのからの手紙をよんでると、僕の目からも涙がにじんできてきて、
ポツリ、ポツリとまたインクがにじんでいきました。
手紙を読み終わった頃には僕の心はやさしくてあったかい気持ちに包まれてました。
そして冷たいおばあちゃんのイメージから心からやさしくてあったかいおばあちゃんのイメージに変わってました。
あれから、3年、仕事やいろいろな時間の都合で隠岐ノ島へは帰れてませんが、
隠岐ノ島に帰りたいとおもうようになったこと、
そしておばあちゃんの顔がみたいなと、『ふっ』と思うことがふえたように思います。
大切な人に大切なことを伝える事、近づくことって大切だなと改めて思いました。
「あ〜隠岐ノ島に帰って、おいしい刺身をおばあちゃんと食べたい〜」
原 裕輝