僕にはお昼休みに毎日のように通うカフェがあります。
そのカフェは「店内禁煙」のため、愛煙家の僕は店の外に設けられたテラス席で午後のひとときを過ごすわけです。
寒いときはブランケットを借りて、ぼーっと空を見たり、街行く人を見てたりします。
結構その時間は大切で、その過ごし方如何で午後の仕事の調子が変わってくるってくらいなものです。
最近、2月も終わりに差し掛かってきて、徐々に日差しがしっかり強くなってきたのを感じます。
大阪は雪も積もりませんし、最低気温が氷点下になることだって滅多にない温かい土地柄なのですが、まだまだ2月。外で一服するには少し勇気が要るようで、僕の他にはあまり同じように屋外のテラスでタバコを吹かす人はあまり見かけません。
12時を回ったくらいからビルに隠れていた太陽が顔を出して、ちょうど座っている僕の足元から徐々に照らし始めるんですね。
その日差しは何故かとても温かくて、気持ちいいんです。
少し冷たい空気に、あったかい光。
寒い真冬に露天風呂に浸かる気持ちよさもありますが、それよりももっと柔らかな繊細な気持ちよさです。
小さな幸せって言っても大げさじゃないと思うくらいです。
よく2月でまだ冬だと思っているときに、春の植物が芽を吹き出したり、春の昆虫がいそいそと土の中から出てくるってニュースや話を聞いたことがありましたが、その植物や昆虫の気持ちが今年の僕はとても理解できます。
だから、最近の僕は昼休みのたびに「春やなあ」とつぶやいています。
おじいさんみたいやけどね(笑)
季節を先取りしたようで嬉しくなって、今からどこに遊びに行こうかを考えてしまいます。
実は僕たちの心もそんな『先取りサイン』があちこちから出ています。
例えば失恋、例えば仕事上のミス、例えば戦争、その芽は実際にそれが起こるよりも少し前に何らかのサインとして僕たちの心から絶えず発せられています。
逆に自分の成長や問題を乗り越えるときも同じで、まだ悩みが晴れないうちに実は何らかの光が見えてきます。
でも、多くの人はそれに気付かないのかもしれませんし、また、そのサインに気づいたとしても「まあ、いいか」とか「そんなことないよな」って否定したり、抑圧したりしてしまいます。
だから、多く問題が起きたときに「やっぱり・・・」って思うわけです。
例えば恋愛で、今彼女ととても上手く行ってるけど、なんだか最近微妙に歯車がずれているような感覚を覚えることがあります。
それは「今まではこんなこと無かったのにな」と感じられることが一番多いでしょう。
意見のすれ違い、待ち合わせのすれ違い、ちょっとした諍い。
多くはほんの小さな出来事です。
でも、多くの人はそれを心のサインとは思わずに「まあ、そういうときもあるよな」とか「今はとてもうまく行ってるんだし」って勝手に解釈してしまい、あまり注目しないのかもしれません。
確かにそういう場合だってあるので、そんなに繊細になる必要はないでしょう。
でも、先週よりも今週の方がそう感じる回数が増えたり、度合いが大きくなったとしたら、何か二人の関係が微妙にずれ始めている証拠だと思ってみた方が、大きな災害を招かずに済む一つの方法だと思います。
その大きな災害の中で交わされる議論のテーマも、今感じている微妙な変化のテーマも実は同じものですから。
集中砲火の飛び交う中で解決策を見つけるよりも、温かい紅茶でも飲みながら話合う方が楽しいとは思いませんか?
わざわざ問題を見るのは、粗を探しているようで最初は気分悪いかもしれません。
でも、そこは思い切って彼女にそれをコミュニケーションしてみるのもいいでしょう。
彼女もそれを敏感に察知してるかもしれないし、気づいていなかったとしても、「これからの話」ってことで上手くお互いの気持ちを整理できるかもしれません。
その微妙なずれは、二人の関係が発展する時期に来ている証拠です。
知らないうちに心に不満や我慢が溜まってるのかもしれません。
言いたいけど言えずにいることがあるのかもしれません。
それを乗り越えて、より太い絆を作るときなんです。
先送りしても同じことですよね。
「ま、いいか」って放っておいても勝手に春はやってきます。
来るのが春なら嬉しいけど、大喧嘩や大失態では後が大変です。
ならば、余裕がある今のうちに何らかの手を打っておくほうがはるかに楽に成長していけるでしょう。
僕たちの心が発する変化のサイン。
見逃さずにいたいものですね。
根本 裕幸