●「自分の生き方」をするために

サッカーのW杯もとっても盛り上がっていますね。
僕も毎日試合を見たり、夜間のダイジェスト番組を見てわくわく・どきどきしてます。
素人目ながらも、素晴らしいプレーが続出してほんま感動します。
こういう世界の、本番のステージでこれだけの力を出せることはすごいよなあ、と感じざるを得ません。
ついこの間まで皆世界レベルのクラブで試合をこなしていて、その疲れを引きずったまま、あんなプレーを見せてくれるんですから、彼らの肉体的・精神的な強さと、自信と勇気はほんまにすごいですよね。
本当に多くのことを学ばせてくれます。
ともあれ、彼らの肉体美を見るにつけ、やっぱダイエットに本腰入れなきゃいけないかなぁ・・・、男としては、と我を省みることもしばし・・・(苦笑)
さて、試合後、監督や選手がインタビューを受けます。
そのとき、もっとも多い敗者の弁って何だと思いますか?
それは・・・「自分たちのサッカーができなかった」ということだと思うんです。
(正確に統計を取っているわけではないけど、たぶん間違いないでしょう)
逆に試合前の両チームのコメントもやはり「自分たちの試合をするだけ。結果は勝手についてくる」みたいなことを言います。
この「自分たちのサッカー」という表現。
これはスポーツ界ではよくありますね。マラソンでも「自分の走り」、野球でも「自分たちの野球」等々、要するに「自分たちの○○」の「○○」に自分の競技を入れたら、どのスポーツ選手もコメントするキーワードになります。
一流のアスリート達は必ず自分たちの特色を持っていますね。
サッカーに話を戻せば、守り中心で攻撃は主にカウンターに限るチームもあれば、逆に攻撃中心で2点取られたら3点取り返すのが身上のチームもあります。
それぞれの国やチームが監督を中心としてチームにベストな形を作り上げていくわけですが、それはその時々のメンバー構成や監督の趣向によって大きく変えられます。
そして、その全員で作り上げたシステムをもって試合に挑むわけですね。
このシステムをうまく機能させることが「自分たちの試合」になるのでしょう。
だから、勝負事である試合では、相手チームのシステムを崩し、自分のチームのシステムが有効に作用するように進められるわけです。
W杯への4年間というのは、そんな自分たちが一番勝利を引き寄せやすい形を作ることに集中します。
そのためにメンバーを入れ替えたり、ポジションやシステム自体を変えてみたりします。
監督が変わればまた最初からシステムを組み直したりもします。
これは自分たちの生き方にも共通するんじゃないかな?と思ったんです。
「自分の生き方」。言いかえれば「自分らしい生き方」。
今のあなたはどのくらい実現できているでしょうか?
アスリート達が自分たちの試合をすればするほど、結果(勝利)は勝手に付いてきますし、もし試合に敗れたとしても、すがすがしい気持ちでピッチを後にしています。
そんな風に「自分の生き方」をしていればいるほど、結果(幸せや欲しいもの)が手に入り、それができない分、楽しみや自由を感じられなくなるのかもしれません。
僕たちの生活の中では色んなシガラミがありますね。
それが仕事だったり、経済的・時間的なことだったり、恋愛や対人関係での微妙な感情の動きだったり。
でも、それはサッカー選手でも同じこと。
自分たちの試合をするためには、各プレイヤーが自分のポジションに与えられた仕事をきっちりとこなす必要がありますし、ゲームには必ずしがらみとなるルールがあります。
その制約条件の下で、自分たちの、自分のスタイルを活かしていくことが求められるわけです。
だから、僕たちもその時々の自分たちのポジションに応じた活躍がきっとできるはずです。
それは親として、パートナーとして、ビジネスマンとして、友人として、通りすがりの人として。その局面局面で何かできることがきっとあり、そして、そこで受け取れるものが何かあるはずです。
環境が変わればそれまでの生き方のいいところを活かしながら、新しいシステムを作ったり、そこに適応していくこともできますね。
常に環境って変化していますから、それにあわせて自分も変化していくことが求められます。
日本のサッカーもトルシエ監督に変わった頃には色んな物議をかもしました。
監督の考え方や方針についていけない選手は実力があっても選考に漏れてしまうこともありました。
でも、そこで自分の生き方や自分らしさを見失っていたり、新しい環境に適応できなかったとしていたら、そのことが「問題」となってしまいます。
そうすると「自分は何もできない」と思って自分を攻撃してしまうかもしれませんし、捻くれてその場を去ってしまうかもしれませんね。
カウンセラーとしての僕の元へはそんな問題を抱えていたり、自分自身の価値や生き方を見失ってしまった方がいらっしゃいます。
その人にはその人なりの価値や魅力があるのに、問題があるときってそれがぜんぜん受け取れなくなってしまうんですね。だから、僕たちの仕事というのはその人なりの生き方を見つけていくお手伝いをするものなのかもしれません。サッカーのチームで言えば、コーチとかトレーナーみたいなものかな。
一方、カウンセラーの職業病みたいなものに「カウンセラーシンドローム」というものがあるんです。
僕たちカウンセラーは色んな人を心の面からサポートしたい、助けたい、という気持ちからカウンセラーになるわけですから、仮に助けられない人が一人でも出たとしたら、ものすごく自分を責めてしまうわけです。
100人の人に「ありがとうございました。
本当に楽になりました!」と言われていたとしても、助けられない1人のために「ああ、自分はだめだ。カウンセラーには向いていない」と思い込んでしまうんですね。
これはカウンセラーとしてデビューして間もない頃にほとんど全員がかかるハシカみたいなもので、僕もかつてはここにはまり込んでいました。
そういう風に思っているときって「ありがとうございました」の言葉も気持ちもぜんぜん受け取れなくなってしまうんです。
その言葉をいただいても「いや、でも、、、、」と助けられなかった一人が脳裏をよぎるわけです。
でも、それでも僕はカウンセリングが好きだったのでしょうね。
その助けられない一人を目標にさせていただきました。
今はまだ腕が無いけど、あんな人がまたきっと来てくれる。そのときには何とかできるように腕を磨いていこう、と。
そういう風に気持ちが変化したら、お客様の「ありがとう」の言葉が身にしみるくらい嬉しいし、自分に出来ること、足りないことがはっきりと見えてきたんです。
そして、そこから自分のスタイルが固まっていきました。
もちろん、今もそのスタイルを中心になるべく柔軟にできるようにカウンセリングの幅を広げ、深めていきたいと思っているのですが、ちょうどその時期にカウンセラーとして地に足がついたのかもしれませんね。
指名してくださるお客様も増えて、自信をつけていくことができたんです。
皆さんが今、自分の生き方だけでなく、仕事や恋愛で自分を見失っているような感覚があったり、自分のスタイルが曖昧に感じたりするのであれば、受け取っていない何かがあるのかもしれません。僕が「ありがとうございました」を受け取れなかったように、それは「彼の気持ち」だったり、「部下や上司からの信頼」だったり、友人の存在だったりするかもしれません。
それが受け入れられたとき、きっとあなたにも今よりも自分が見えてくることでしょう。
まずは、あなたの周りを見回して、今受け取る必要のあるものを見つけてみるのはいかがでしょうか?
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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