●当たり前ということの有難さ

先日、あまりの寝苦しさに午前5時ごろ目が覚めました。
汗もかいていたので、顔を洗おうと蛇口をひねったのですが、水がでません!
「おかしいなー」と思いつつ家中の蛇口をひねっても、やはり出ません。
「なんで!?」「断水の知らせもなかったはずなのに・・。」
もしかしたら断水かもしれないと思い、知らせが貼られていないか一階に見に行ってみることにしました。
うちのマンションの給水タンクは一階に設置されているのですが、玄関を出ると下の階のご夫婦も給水タンクを覗いていました。
「お水出ませんよね?」と話し掛けると出ないということだったので、とりあえずうちの家だけではないんだ。と少しホッとしました。
そしてその給水タンクの上には点検中の警備会社の人がいました。
聞いて見るとポンプの故障で、作業をするので少しお待ちくださいということでした。
その後、コンビニへお水を買いに行き(気が付けば無意識のうちにカゴは飲み物で一杯でした(笑))、待てども待てども水がでません。
「もう5時間以上もたっているのに何でまだ水でないの!」「一体何の作業をしてるの!早くしてよ。」と次第に腹が立ってきました。
普段はあまり気づいていませんが、水がないとできないことがホントたくさんあります。
洗顔も、歯磨きも、料理・片付けも、もちろん洗濯も、あと、トイレ!!(幸い前日に半身浴をしていたので、バスタブに溜めていた水でトイレも気持ちよく使えましたが・・。)
主婦にとって水なしでは何の作業もできず、ただただ「水ぅ〜!!」と待っているのは嫌な気分でした。
でも、その時気づきました。
「蛇口をひねって水がでるのは、当たり前じゃないんだ」ってことに。
コップを片手で持って、顔を洗いながら思い出したのは、テレビで時々見かける水が余り豊かにない国の人が水を大切にして、少しの水で片手で顔を洗ったり、一日何度も遠路をはるばると水を汲みに行っている姿でした。
そういう気持ちで自分の日常を振り返ってみると、「当たり前」「当然」と思っていることの何て多いことか・・。
さらに思い返すと、それは物質面だけではありませんでした。
毎日顔を合わしている夫のことも、どこかで、一緒に居て当たり前と思っている私がいます。
今仲良くしてくれている友人のことも、育ててくれた両親のことも、意識をしないでいれば、当然のように思っている部分があります。
そういう気持ちで周りを見ると、何もかもが有難いと感じられます。
私達はよく、今自分が手にしていないものを欲しがってしまいます。
それ自体悪いことではないんですが、今自分の持っているものの有難さを十分わかっているんだろうか?と思いました。
健康、パートナー、家族、仕事にしても失ってから初めて気づくことが多すぎるんじゃないかと思いました。
水のない不便さから色んなことに思いを馳せられて、いい機会でした。
こういう機会がなくても、日頃から当たり前のことを当たり前で片付けてしまわないで、感謝できる自分でいたいなと思います。
根本理加

この記事を書いたカウンセラー

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