皆さんは「ま、いいか」とか「ま、しょうがないよな」という言葉をどのくらい使ってますか?
今日中に仕上げなきゃいけない仕事があって、でも、7時に友達と待ち合わせしていたので「ま、明日でもいいか」と開き直って会社を飛び出たとしましょう。
次の日はどんな結果が待ち受けているでしょうか?
上司や先輩から大目玉を食らうか。
はたまた「ま、しょうがないな」と許してもらえるのかな。
今度の休日こそ部屋の掃除をしようと思って前の日はやる気まんまんでベッドに入ったんだけど、起きたら時計は午前11時をさしています。
一気にやる気が失せて「ま、いいか。また今度にしよう」と思ってみたり。
今日は久々に彼とデート。でも、朝気合を入れて鏡に向かっているとケータイが鳴って「ごめん、急な仕事が入った。今日は会えない」と。
落ち込みつつも「でも、仕事なんだからしょうがないよな」とあきらめてみたり。
お義母さんから電話があってちょっと目を離した隙に、がっしゃーんと子どもがおもちゃ箱をひっくり返して唖然とするあなた。でも、気を取りなおして「小さいんだから、しょうがないか」と思うようにしてみたり。
いろいろな場面での「ま、いいか」「しょうがない」という言葉を使う機会は大人になるに連れて増えていくものだと思います。
「ま、しょうがないでちゅね」と言ってる3歳時はあまり見かけませんもの。
この言葉が“悪い”てわけではもちろんありません。
「しょうがないなあ」は寛容さ、優しさ、気遣い、理解、許しを表す言葉です。
「ま、いいか」も、本来は気分を切り替えるための手放しの言葉ですよね。
でも、意識のどこかに「寛容にならなければ」「理解しなければ」という観念は埋まっていませんでしょうか?
「あいつも悪気があってやったわけじゃないわけだし、許してあげなきゃ」とか。
「いつも忙しいわけだし、今日一日寝過ごしたっていいよな」とか。
そうするとその寛容さは甘さに、気分の切り替えが抑圧になってしまうこともあるみたいです。
甘さはやがては自己嫌悪を招きます。
抑圧は自分の心を圧迫していきます。
また、心のどこかに「諦め」はありませんでしょうか?
「ま、いつもなんだもの。いまさら言ってもしょうがないよな」とか。
「どうせ誰に迷惑をかけるわけでもないし、ま、いいか」とか。
かくいう僕も「ま、いいか」「しょうがない」のヘビーユーザです。
どんな場面でもそんな寛容さを見せなければ、理解してあげなければ、と思ってやってきました。
その人の「事情」もわかりますしね。
しかも、カウンセラーなわけですから、なおさらわかってしまうことも多いのかもしれません。
でも、あるときから「ま、いいか」「しょうがないよな」では済まされないことが多発するようになりました。
当時はなぜかは分からなかったんだけどね。
「ま、いいか」と思った後で、無性に腹が立つんです。
「しょうがないよな」と言った後で、「いやいや、しょうがなく無いがな」とむかつく僕がいました。
いけない、いけない。
何年も前のお話ですのでお許し願いたいのですが、カウンセリングをしながら「それは仕方ないことですよ」と言う半面、「でもなあ、仕方ない言うても・・・」と納得できない自分もいました。
また、誰かの一言に対して「ま、ええんちゃう?しゃあないし」と言いながらも「いやいや、それはあかんやろ」とむかついてる自分もいました。
でも、当時の僕はそんな怒っている自分を許せず、「あ〜、こんなことでは駄目だ。カウンセラー云々以前に人間ができてないじゃないか!」と自己嫌悪したりしてました。
気分は最悪。
でも、あるとき気づいたんです。
「ああ、俺は怒ってはあかん、と思っているんやな」と。
怒りを感じることを禁止してたようです。
なんで「しょうがないよな」が多発するか?っていうと、それくらい怒りが僕の心に溜まっていたからみたいです。
だから、ちょっとしたことで「腹が立つ」→「でも、怒っちゃだめだ」→「ま、しょうがないよな」を高速で繰り返す羽目になったわけです。
そんな風に「ま、いいか」という言葉を使うときを振り返ってみました。
「しょうがないな」という言葉を使ってるシーンを思い出してみました。
もちろん、本気で「それはしょうがないよ」と思っている場面もたくさんありました。
でも、顔では笑っていても、心は煮え繰り返ってるときも多くありました。
そのとき気づきました。
ああ、その言葉は僕にとっては許しや手放しではなく、怒りを抑圧するための合言葉になってしまっているんだなあ、と。
で、とりあえず怒ってる自分を許してみることにしました。
口で言うのは簡単だけど、実現には結構時間がかかります。
今でも人前で怒りを露にするというよりは、理解を選んでしまう自分もいます。
でも、とりあえずはむかついていることを自分なりに認められるようにはなりました。
めちゃくちゃ怒ってることを自覚し、それを意識的に抑圧しなくても済むようになりました。
そしたら、とても楽なんですね。不思議な事に。
強烈な怒りを感じたこともありました。
髪の毛が逆立つってこういうことか?って感じるくらいに。
足の先から頭の上に向かってものすごい熱い塊が突き抜けていくような感じ。
その塊を龍が駆け上ってくるように感じたものです。
でも、その尻尾が抜けた後はなぜかほんわか暖かい気分になってしまいました。
そして、その後は熱いやる気のような、元気のようなものが出てきました。
不思議で面白い体験だけど、一つの気付きにはなりました。
怒った方がいい。いや、正確には、怒りを感じたほうが良い、と。
自分自身の変化やクライアントさん達の変化を目の当たりにしてきて思うことがあります。
何か大きな変化が起こるときって必ず激怒があるんです。
何かに。
そして、そこを抜けると新しい自分になったような気がします。
「ま、いいか」「しょうがない」も大切だけど、怒ることも大切です。
それはきっと選択できるもの。
選んだ上での「しょうがないですよ」は深みを持ちます。
自分で選択すれば「ま、いいか」の効能もぐっとアップします。
怒りを扱うのはなかなか難しいけれど、まずは自分の心を振り返ってみるところから。
そのきっかけに「ま、いいか」「しょうがないな」を使ってみて下さい。
根本裕幸