たま〜に、サラダなんかに紛れ込んでいるものを、
口にしたことはあったんですが、食べず嫌いが長持ちし、
私は今日、アボカドを始めて、そのまま食べました。
「だから、なんなんだ・・・」という声が聞こえてきそうですが、
あまりにもその食べ物に対する見方が、180度見事にひっくり返ったので、
ここに書いている次第です。
こんなにマズイもの、そりゃサラダにでもしなきゃ、
食べらんないわ・・・と一口目は思いました。
でもまぁ、なんと、醤油をかけて食べた二口目は、
「うまい!!」のひとこと。
我ながら、自分の反応に気まずさを感じながらも、
お醤油がスゴイのか、それともアボカドが実はおいしいのか、
考えずにはいられませんでした。
感情は、たとえば悲しくなって泣いたとしても、
それだけでは、ただの生理機能にも見えてしまう・・・
喜怒哀楽というのは、感情の波というのは、
そこに一定した、その人の人生を通しての”なにか”があるから、
色合いとして、花として、心の景色として、
私たちに生きてるっていう実感をもたらしてくれるのかもしれない、
ふと、そんなことを思ったのでした。
だって泣いても笑っても、怒っても、
それは長続きせず、気がつけば気分は変わるもの。
それでも、自分が自分でいられるのは、
マズイながらも、見ようによっては、
うまくもなるのが人間だからなのかもしれないし、
マズイからこそ、なんとかしようとすること自体が、
楽しいのかもしれません。
そんな、あまり自分では認めたくないようなところに、
その”なにか”があるような気がして、
さて、これがなんなのかが解かれば、こんなコラムも
書いてはいないんですが・・・(笑)
なんなんでしょうね。これから見つけていきたいと思います。
by 源河はるみ