まだ、僕がプロカウンセラーではなく、カウンセラーを目指していた頃のお話です。
当時僕は神戸メンタルサービスのカウンセラー養成講座でカウンセラーになる為に勉強していました。
カウンセラー養成講座の初級コース、中級コース、上級コースを進むにつれ夢であったカウンセラーになるということが現実化する感触がしていきました。
夢が手に入ると思うにつれ、プロカウンセラーになる為に取り組むべき悩みもでてきました。
僕の夢はプロカウンセラーになること、その夢を実現していく祭に立ちはだかる悩みは、当時勤めていた会社との関係をどうするかということが悩みの一つでした。
会社に勤めながら空いている時間を利用してカウンセラーをするのか、
会社を辞めてカウンセラーのみで身を立てていくのか、
はたまた、カウンセリングをしやすい環境の会社に転職して、会社勤めをしながらカウンセラーとして生きていくのか。
僕の決断は、会社を辞めてカウンセラーのみで身を立てていくことでした。
そこで、また悩みがでてきました。
僕の次の悩みは母親にこのことを説明しなければならないことでした。
僕は父親を幼い頃に亡くしています。
そのことで母親は、子供に不憫な思いをさせていないかという想いがあるので、幸せになって欲しい、安定した幸せを手に入れて欲しいという思いがあります。
特に母親自身が、夫の病気、入院、死別、仕事の問題、お金の問題、etc・・・
波乱万丈な人生だった為、『安定』ということに関して強い思いがあります。
母親にとって会社勤めしているということは、お給料を毎月もらえて、退職金もあって、厚生年金や、社会保険などしっかりしたものもある、ボーナスもあって、まじめに勤めていたら、それなりに給料もあがり、いずれ家を買うこともできる、まさに安定の象徴だったわけですね。
僕が会社に勤めているということは、子供が安定を手に入れて幸せな人生を送れるはずだという安心がありました。
その母親にとって僕が「会社を辞めてカウンセラーになる」ということは、安心していた心が揺れ動かされ、とっても不安になるだろうと僕は思っていました。
僕は母に苦労して女手一筋で僕を育ててくれたと感じているので、これ以上母親に迷惑かけたくない、母親がこれ以上心労が増えると倒れてしまうのではないかという想いがあり、母親を心配さすのが一番嫌でした。
逆を言うと僕は母親から心配されるのがなによりも嫌でした。
でも、勤めている会社を辞めてカウンセラーになることはきっちり説明して筋は通しておかなければという思いもあり、とっても気が重くなっていました。
そしていよいよ母親に説明する機会がおとずれました。
カウンセラーになりたいという夢、職業としての可能性、将来の展望をしどろもどろになりながら説明していきました。
その説明を聞いた、母親の意見は
「そんなんで食べていけるの?老後になってやっぱり会社につとめといたほうが良かったって思っても遅いんやで、子供ができて大きくなったらお金もかかるし、この不景気の中・・・・」
『ああ、やっぱり』と思う予想通りの回答でした。
母親が納得できる形で会社を辞めないと、不安にさしてしまうだろうと考えていた僕は解ってもらおうと何度も説明しました。
そして説明が説得という形になっていき、最後の方には、なんで解ってくれないんだという怒りになっていました。
結局最後は、母親を安心さすことができないまま、「僕はカウンラーになる」という自分の意見を押し通す形で話し合いが終わりました。
話し合いが終わりしばらくして
『やっぱりこういう形になったか、これからもずっと解ってもらえないままだろうなと』
と思っている僕に母親が語りかけてきました。
「私はあんたの母親だから、子供の幸せを願っている。
いくらあんたが心配せんでも大丈夫って言っても私は心配する。
それは幸せになってほしいから、ああでもない、こうでもない思うから心配してしまう。反対もするだろう。
でも、あんたの人生はあんたのものやからあんたが望むように好きにしたらいい。
でも、私はあんたの母親やから一生心配しつづけると思う、それは解っといてな。」
僕はこの母の言葉を聴いてあることに気づきました。
僕は今まで、母が心配しているということは、母に迷惑をかけていると思っていたんですね、でも、この時の母の言葉で母が心配してくれているということは、愛してくれているんだということに気づけました。
僕は今まで母の愛情を受け取れていなかったということにも気づきました。
幼い頃病気になった時病院につれていってもらったこと、仕事が忙しい中ご飯を作ってくれたこと、心配をしてくれていること、僕に与えてくれること、時間をさいてくれること、僕は迷惑をかけていると思っていたんですね。
でも母親はただ僕を愛してくれていたのだということに気づきました。
そして何十年間も見落としてきた母の愛情をようやく受け取ることができました。
母が言ってくれた言葉はとても胸に響きとても嬉しく感じるものでした。
僕の幸せをこんなにも真剣に思ってくれてるんだなとも感じました。
今でも、この言葉を思い出すと胸に感動がよみがえります。
そして、こんなにも愛してくれていた母に感謝の想いでいっぱいになります。
感謝の想いでいっぱいになった僕はただ、
「ありがとう」
という伝えたんですね。
母に僕が愛情を受け取ったこと伝わったんでしょうね、そう伝えたときの母は照れくさそうに笑っていました。
僕たちは、自立していくと誰にもたよらない、一人でがんばるということを学んでいきます、そうすると誰かの世話になることや、誰かの力を借りることが
迷惑をかけているように思えてくるんですね。
でも、それは迷惑ではなくて、ただ愛してくれていただけのことかもしれません。
そうやって愛してくれることを見落としていたこと、愛を受け取っていなかったことって、いっぱいあるのではないかなと思います。
せっかく相手が与えてくれている愛を、愛ではないといっているようなものですから、それは見方によると傲慢さかもしれません。
これからは、まわりにある愛情をこれから見落とさずに受け取って行きたいなと思います。
原 裕輝