見えないもの、触れられないものを信じることが出来ない、と言う人がいます。
私自身、五感で感じられないものは果たして本当にあるのか?とずっと思っていました。
よく言われるのが霊魂の存在であったり、シックスセンスいわゆる第六感ですね。
何かぴん!と来る感じだとか、ふとした時に降りてくるインスピレーションであるとか、虫の知らせ、のような感覚を本当は感じていたのに気づいてなかったり、気づかなかったことにしたり。
少なくとも、私はそうでした。
「でもな、それやったら空気はなんであるとわかるん?見えへんし、臭いも無い。感じるわけでも味があるわけでもないやん。」…多分中学生の頃だったと思うんですが、これがずっと心に引っかかっていました。
まあ、もっとしっかり勉強していれば、「それはね、例えばこういう実験をしたらこんな反応があるじゃない、だから空気はあるとわかるのよ」とか酸素がどうの、窒素が水素が…と言う話も出来たのでしょうが、妙に納得してしまったわけです。
それに何より私たちの身体に本当に酸素を取り入れて二酸化炭素を排出していることは簡単な実験でもわかることだし、体の中では常に色んな化学反応が起こっていることも事実ですよね。
私の「見えない(聞こえない、触れられない、におわない…)ものは存在し得ない」という概念をぶち壊すきっかけになった言葉でした。
私にとって、「見えないもの」のと言えば、まず「心」なんです。
人の心なんて、見えもしなければにおいも音も無く、手で実際に触れるのはかなわないことです。
でも、存在については否定できませんね。
心は一体身体のどこにあるのか、なんていうことを考える子供だったので、大人になってからは脳と心のつながりを知りたくて、そういった本を探したり読んでみたこともあります。
本に書いてあることと言えば、主に脳のどの辺りにどんな働きがあり、どの部分がこんな感情をつかさどっている、だとか、脳内物質がどうだとかそういったことなんですね。
でも、結局は解剖してみたところでこの人の心の動きは生前どうだった、とか、この人の脳はこんなだからこんな人柄なのだ、なんていうことはきっとわからないでしょうね。
でも、心は間違いなくあります。
だって、ほんとに小さな時代から、泣く、笑う、と言うようなことを何も脳で考えるまでもなくしてきたわけですから。
心は手や顔、胃や肝臓といった臓器のように実際に目に見えたり、働いている実感がある器官とは違いますが、口調、しぐさ、表情、と言ったところに「心は見ることができる」と思います。
直接顔を合わさないときでも電話の向こうの声のトーンであるとか、手紙やメールのちょっとした行間なんかに、「心」を感じることができますね。
そして、このごろ思うのは「目は口ほどに」本当に物を言うな、ということです。
もちろん、声が出るわけではありませんが。
人間だけではないんですね、目という器官のある生き物の全てがきっとそうなんでしょう。(とはいえ、ミミズの目はどれ?とか、そういう問題はありますが)
目は、位置的にも脳に一番近いところにあります。
そして、私たちの情報の8割は視覚…目から入るものだともいいます。
でも私たち自身の情報を発している、と考えたらまた違う見方ができそうですよね。
視覚に障害のある方は、視覚以外の感覚が発達していると言われます。
そう言った方にお会いすることがあるのですが、確かにすごく勘がよく、慣れた所なら本当にスタスタと歩いていくんですね。
そして、視力はなくてもどういうわけか「目が合う」方がおられます。
声のする方に顔を向けられるので、自然とそんな表情になるのでしょうが、目の表情を感じるんです。
まさに、「心の窓」ですね。
大好きな人の前に行った時、あなたの瞳はどんな表情をしているでしょう。
悲しいとき、嬉しいとき、怒っているとき。涙にもいろんな色があるように思えたりしませんか?
あなたの大切に思う人の「心の窓」を、ちょっとそんな目で見てみたら、また違った一面に出会えるのではないでしょうか。
中村ともみ