ニュースと言う言葉の由来はNorth(北)East(東)West(西)South(南)の頭文字なんだそうです。
「New(新しい)」に引っ掛けたのでしょうか。よくできたネーミングですよね。
新聞を開いても、テレビやラジオから、パソコンやさらには携帯電話からも今やどんなところからでもリアルタイムでのニュースが手に入ると言っても過言ではないでしょうね。ほんとに便利な世の中になったものです。
考えてみれば21世紀ですから、私に近い世代の方は、子供時代に21世紀の空想画などを図工や美術の授業で描いたような記憶のある人は少なくないのではないでしょうか。あのころは21世紀をとてつもない未来だと思っていましたよね。
空飛ぶ自動車やタイムマシーンはまだないけれど、ロボットはかなり優秀なものができているらしいですし(医療現場などでも活躍しているらしいですよね)、バイオテクノロジーの世界ではSFにしか登場しなかったクローンが誕生?という話題もありました。
宇宙旅行に出かけた人もいます。
そうそう。スペースシャトルの悲劇もまだ記憶に新しいものですが、飛行士たちの命はどんな風に今後の研究に生かされていくのでしょうか。
そんなことを思ってふと、「犠牲」と言う言葉が気になりました。
心理学的な使い方もする言葉なんですが、少し考えてみようと思いました。
犠牲、と言う言葉、実にいろんな形で使います。
事故や戦争の犠牲者、誰かの犠牲になる、社会のひずみの犠牲・・・辞書で引いてみました、まずは漢字の意味から。「犠」も「牲」もともに生贄(いけにえ)を表す文字だそうです。
手近な辞書(新明解国語辞典(三省堂)です。
)によるとこうあります。
① ある目的のために、その人の生命やかけがえのないものを提供すること。
② 「犠牲者」の略
そして「犠牲者」を引くとこうです。
①何かが成功した陰で、そのために命を落としたり一生を台無しにしたりした人。
③ 俗に、不測の事故・災難による死者の称。
さらに「犠牲的」となると
① 自分を犠牲にしてやまない様子。
とこうなります。
何かを犠牲にして、自分の意志を貫いたり、誰か(何か)のために尽くす。こういったことが美徳だと言うことを少なくとも私は子供時代に誰かから聞いたように思います。
具体的に誰だったかと言うと、両親だったのか、一緒に住んでいた明治生まれのおばあちゃんだったのか、何かのお話だったのかサダカではありませんが、確かに記憶にはあります。
そうですね、うちの父は特攻隊に憧れ飛行機乗りになりたかった人ですから、父が言うとはなしに伝えていたことなのかもしれません。
もちろん私は見たわけでも直接聴いたわけでもないのですが、知覧から不帰のフライトをしていく青年の話はいくつもありました。
この事の是非についてを今ここでいうつもりはないのです。
この青年たちの心の中でどんなことが起こっていたのかなって・・・思いました。
なぜ言い伝えられているのかわからないのですが(だって当の本人は帰ってこないのですから)、彼らはその仕事を終えるときに「お母さんっ!!」と叫ぶのだそうです。
他のどの言葉でもなく、です。
妻や恋人がいる人ならその名を呼ぶのかもしれません。自分にとって一番大切な人の名を呼んでこの世を去って行くと言う。
この話に昔はある種のロマンを感じていたように思います。
今は、と言うとただただ切ないなあ、生きたかったよなあって思うんです。
自分の人生を本当に生きていたのだろうか、と。
本当のロマンとは、冒険とは、自分自身の人生にコミット(こうやると決心して進むこと)することなんやないかなあ、と思う今日この頃です。
中村ともみ