最近、身内の話をよくするようになりました。
この欄でも身内ねたが増えたなーと思うんですが、年のせいなのかな(笑)?ということで、今回も身内がらみです。
身内、といっても彼とは血のつながりはありません(血液型は一緒だけど)。彼は妹の夫です。
一見とても硬派なやつで、でもこう言ったタイプのご多分に漏れず?デリケートな優しさがぎっしりつまった彼の仕事は、救急救命士です。
最近、彼は数人の仕事仲間に永遠の別れを告げました。
神戸の火災現場で殉職したのは、まさに彼の同僚。一緒に仕事をしていた仲間です。
その現場では住民の方が亡くなり、救助作業中の消防士が死傷するという惨事になりました。
いろんな気持ちが入り混じり、言葉では言い表し難いのですが、人の命のたくましさと儚さを思っていました。
職場の性格上、いつまでもただ悲しんでいるわけにはいかず、現場は動きます。
聞いたわけではありませんが人的な補充があったことでしょうし、これはどんな仕事にしても同じでしょうが、誰かがいない、欠けていることを感じざるを得ないのだけれども立ち止まっているわけにはいかない。私には知る由もありませんが、周囲の胸の痛みは計り知れないものだろうと思われます。
ありふれた日常生活を送りながら…そこには楽しいことも、家族との和やかな時間や時には喧嘩だってあったことでしょう。そういったごくありふれた時間や空間と、「仕事」との共存。人は誰でもそうだと思うのですが、ごくごく個人的な場面とオフィシャルの使い分けをしています。
これは子供時代からそうですね。友達や恋人といるときの自分、学校での自分、職業人としての自分、家庭での自分、一人でいるときの自分。どれも自分自身です。
おそらくとても無意識的に使い分けをしているのでしょうが、たとえば緊迫感の強い職業に就いていたりすると、(感情的に)いつもフラットでいるか逆に極端な自己表現になるか、ということを感じます。
たとえば義弟のように、日々人の生き死にに関わったり緊迫する場面に多く接していると、多くの人が触れることの少ないそう言った場面が日常になります。
麻痺、というのとはまた違うと思うんです、慣れることもまた大切な適性になってくることでしょう。言ってみれば非日常的なことが日常的に起こるわけですから、そんな場面にはじめて出くわす人のように毎回毎回感情を感じていたら持たないでしょうし。
私が彼や彼のような人を見ていて感じるのは、「バランス」の大切さです。
人間ですから、心は動きます。
むしろ喜怒哀楽のどれもがもしかしたら誰よりもはっきりしているかもしれません。またそうでなければ、こう言った職業は選ばないでしょうね。大げさに聞こえるかもしれないですが、全ての人の幸せで平和な生活をきっと望んでいるのでしょうから、人間が大好きに違いない、と私は思うわけです。
彼からは「自分がもっとがんばればいいんだ。」そんな風な気負いを感じることもあります。
でもいつもいつもがんばっているとしたら、持ちませんね。
弦楽器やピアノの弦は張り詰めた状態で一定の高さの音を出し、美しい音色を醸し出しますがずっと張り詰めていると切れ易くなります。
人の心も、同じだと思うんです。
いつもいつも張り詰めているとしたら、心も身体もきっとくたくたになってしまうのでは、と言うのは想像に難くありません。
張り詰める、緩める。
こんなバランスがとっても大切だなと思うんです。
心の弦を緩める場所が家庭であったり好きな人の前であったり、趣味に没頭することだったりすると思うんです。
これは、私達カウンセラーにも言えることだと思うのですが、(人からどんなにお気楽に見えようと^^;)意外と気を遣っていたりするものです。
時々、自分がこんなに気を遣っていたのかーーー、と思うことがあります。
人と関わる仕事をしていたり、緊迫感と常に向き合っているとこれがまた「麻痺」したような感覚になるのかもしれません。
今回の事故では弟に限ったことではなく、また今回の事故に限ったことでなく、「あの時自分がいたら…」「助けてやれなかった」「せめて近くにいたかった」と感じている人は本当に大勢いることでしょうし、中には、運命、と言う言葉で解決しようとする人もいるかもしれません。でも、今生きている自分、今生かされている自分だからできることを見て行った時逢えなくなってしまった「仲間達」の声が聞こえてくるような気がします。
立ち止まってしまったとき、見えなくなったときにこそ、彼らが仲間達を応援し続けていることを感じられるかもしれません。今は、逢えなくなった仲間達のことを自分にできなかったこととして受け止めているのかも知れないし、もう逢えないことにずっと捉われてしまうかもしれません。でもその人たち、その物事や出来事が教えてくれている何かを心から受け取って自分の原動力にしていくことができたら。
〜大切な人を忘れたくない。できれば一緒に生きていたかった。〜
こんな想いを抱きながら、自分の人生を生き続けることが、彼らを生かし続けることになるのではないでしょうか。そんなふうに生きていこうとしているとき、逢えなくなった仲間”HERO”達が、いつも一緒にいてくれると感じられるのではないでしょうか。
中村 ともみ