先日、買い物帰りに家の近くの公園を通りがかると、4,5歳くらいの女の子がたった一人でブランコに乗っているのを見かけました。
夕方の5時ごろだったのですが、天気が悪いせいか他に人が誰もいず、なんとなくその子が気になって私も隣のブランコに腰をかけました。
「一人で遊んでるの?」と声をかけると返事なし。
「お母さんは?」と尋ねると、少し間をおいて「おしごと。。」ととっても小さな声で返事をしてくれました。
その女の子の横顔を見ていると、ふっと自分の子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきました。
私が子供の頃、母は仕事を持っていたので、私はカギっ子でした。
夏休みになると、おやつの時間に遊んでいた友達が、お母さんに呼ばれてそれぞれ一旦家に帰っていきます。
その間いつも私はブランコに乗って、みんなが戻ってくるのを待っていました。
友達のお母さんが「一緒にうちにきておやつ食べようよ」と声をかけてくれても、私は絶対に「おやつ欲しくないから。。」と言って断っていました。
女の子を見ながら、何であの頃かたくなにおやつの誘いを断っていたんだろ〜〜とふっと考えたときに、その時の感覚が蘇ってきました。
あの頃の私は、他のうちでおやつを貰ったら、母親を裏切ってしまう。かわいそうな子と思われたら、母親がよそのおばちゃんに悪く思われるんじゃないかなって、小さな心で懸命に母親をかばっていたのですね。
その後、私は成長過程の中で、長い間母親に反発し続けていました。
「お母さんなんか大嫌い!」と思い込もうとしていた時期もありました。
このブランコの記憶も、ほったらかしにされていて傷ついた記憶として塗り替えてしまっていたけど、真実はそうではなかったようです。
本当は、私は母のことが大好きだったのです。
だから母のことを悪く思われることが、何よりも嫌なことだったんですね。
たぶん、世界で一番大好きで大切な人だったことを思い出しました。
ブランコに乗りながら、私のハートはとっても暖かい感覚でいっぱいになりました。
女の子に「お母さんが大好き?」と聞くとニコニコしながら大きくうなずいてくれました。
私の母は現在遠方に住んでいるため年に1,2回しか会えないのですが、急に母がいとおしく、恋しく感じて、「なんかお母さんに会いたいわぁ〜」と電話を入れると、「あんたがそんなん言うのめずらしい・・」と言って、さっそく大阪まで会いにきてくれました。
(母の行動力にはいつも目が点になるのです)
やれ洋服を買ってくれたり、食べ物を買いあさってくれたり、とんだはりきりぶりで、「そんなんいいのに〜」というと、「お母さんはうれしいんやから。もっと甘えなさいよ!」と怒ったような照れたような表現の仕方でした。
無意識で母親とずーっと競争していた私が、今この歳になって、ただおかあちゃんが大好きだった頃の私の感覚に戻ってきているようです。
私は幼稚園を卒園するまで母のことを「おかぁちゃん」と呼んでいました。
そして今また、私の中で「お母さん」が「おかぁちゃん」に変わりつつあります。
愛し、愛されている関係。
母娘だからあたり前のことだという思考と、そのことを感情として心が反応するのには、随分長い年月がかかりました。
愛されていることは知っていました。
でも、こんなに自分が愛していたことをすっかり忘れていたんですね。
ブランコでの女の子との10分程の時間に中で、母との究極の繋がりを取り戻させてくれたような気がします。
癒しってホントに日常にいっぱいころがってるんやわぁ〜と実感したある日の出来事でした!
山本 真規子