●恩師(気づかなかった思い)

皆さんは恩師がいますか?
私はいるんですよ。
中学の時の部活の監督。
まあ、これが厳しい先生でして(^^ゞ
毎日練習、朝錬(これは起きれなくて良くさぼっていました)
昼休みの30分も練習、放課後も練習、週末は決まって遠征。
(うちの田舎は島なので、朝5時位の船に乗るんです)
休みは正月とお盆、あとは休みなし。
練習中ミスするとビンタか竹刀が飛んできて、
サボるとうさぎ跳び(私は毎日位に(^^ゞ)
遊びたい盛りの中学生、毎日の厳しい練習で不満もたまっていましたが、
厳しい練習のお陰か試合で負けることは無かったんです。
でも、ただ一度だけ3年の夏の大会で負け、
初めて負けた悔しさと今までの練習三昧の不満が爆発し、
レギュラー全員が受験もあることだし、
もう辞めようと言うことで監督と話し合いました。
その時のことは今でも覚えてるのですが、理科室で私達は辞める旨を伝え、
監督はその話を黙って聞くだけで何も言わず、私達が勝てなかった相手の決勝戦
のテレビ中継を見せられました。
私はテレビを見るより初めてみる監督の辛そうな表情を見て、何故か号泣してしまったことを覚えています。
ただ一言「お前達に任せる」と言われただけでしたが、
話し合いの末、最後の秋の大会までやることになり有終の美を飾ることが出来ました。
卒業して10年、その先生を交えて部員で集まりを開いた時、
その先生が時効ということで苦労話を話してくれてたんですが、
私達のチームは実績が無かったので練習相手を探すのに困ったこと、
横のつながりが無くて他の監督達に邪険に扱われてたこと、
それが私達の損にならないように、色んな会合に顔を出し、飲み会まで付き合っ
ていたこと、初めて聞く話ばかりでかなり衝撃でした。
私といえば、毎日の練習、週末は遠征にと、
「やってられるか・たまには休ませろー」と、不満を言っていた頃に、
そんな苦労があったなんて夢にも知らず。
まだまだ、子供で誰かを気遣う事が出来なくて、
思い返してみれば、監督には家族も仕事もあるにも関わらず
私達に全ての時間を費やしてくださったんですよね。
今でも忘れられないのは最後の試合で勝った時に、初めて見る監督のうれし泣きの顔。
そのうれし泣きの顔をもう一度見たくて、今、内緒で退職祝いを皆で計画中です。
あの時代は気づかなかった監督の思いをしっかり受け取り、そして今度は私達か
ら、心からの感謝を込めて、ありがとうの気持ちを送りたいと思います。
竹田亜由美

この記事を書いたカウンセラー

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