まだ、春の陽射しとはほど遠い控えめな光が枝からこぼれています。
そして時折吹く風はまだまだ冷たく、身を切るように感じることさえあります。
ぴゅうーっと字で書けるような音を感じたりもします。
背中を丸めて、両手に息をかけて自分の体の温かさを感じることもあります。
町の色も、心なしかくすんでいるよう・・・。すれ違う人もみんな肩をすぼめて、両手をポケットに入れ、うつむきがち。乾いた足音。体が、春を心待ちにしている、そんな感じ。
自分の生活や社会の中で厳しい風にさらされ、身を切るようなほとんど痛みのような冷たさに触れたとき、こんな風に人は心を閉ざしてしまいます。
「寒いと思うから寒い、痛いと思うから痛い」なんていう論法を持っている方も世の中には少なくないかもしれないんだけど、私はこう思います。
「痛いもんはやっぱり痛いのっ」
(心の)痛みの中に入りましょう。そんな風に言うことはあります。
でもね、その痛みが怖いか入られないんですよね。そうでなければ、痛みにさえ気づいていないのかもしれません。だとするといくら痛みに向き合いましょう、入ってみましょう、と言われてもそれはできない相談だ、と感じてしまいますね。だって、この感覚を「痛み」だとは思っていないわけですから。
私は、歯医者さんには本当に切羽詰ったときにしか行かないタイプの人間なんです(笑)。しかも歯の質がよくなくて、虫歯のできやすい体質らしいのに、です。
ほんまに「痛いっ!!」と感じ、さらにご飯が食べられない、眠れない、となっても痛み止めを使って(しかもよく効くのを知ってたりする)なんとかしのいだりして。
実は今、歯の治療中なんです。
そう、切羽詰ってしまったんです。
ところが、私は行くとなれば結構平気なんですね。いわゆる、腹を括ると言う状態でしょうか。まあ、何も歯医者に行くのにいちいち腹を括らなくても、と言う話もありますが。最近気づいたのですが、私は痛みに鈍いらしいんですね。いや、痛いのは痛いんだけど、「我慢できる」と感じてしまうらしいんです。
行きつけの歯医者さんは、こんな私にとっても優しいんです。
多分たいていの人が痛がるような治療でも痛がらないらしい(こういうのを我慢してると言う?)ので、私が「痛い」顔をしようものならすぐに手を止めてくれるし、「痛かったら予約なしでも来てくださいね。」という一言を添えてくれるのですが、ももちろんよほどでない限り行くことはありません(別に自慢じゃありません、念のため)。今までに一度だけそんなことがあったときには、もう、至れり尽せり、でした。
(歯医者さんの至れり尽せりっていったいどんなん?と言う話もありますが。)この先生も、自分の痛みには触れるのがいやな方なのかもしれません。それが体の痛みか、心の痛みなのかはもちろん知ることはできないですが。
遡ってみると、私は子供のころに大怪我をしているんですね、どうもこれが鍵のようです。
痛い、と私が言うときっと母が悲しんだのじゃないかな?と思います。
今も母の涙は苦手です。
困り果ててしまう感じがします。
といっても今までに3回しか見た記憶がないんです、母は数知れず涙を流したことでしょうけれど。その3回というのは、母自身の手術のとき、父が死んだとき、そして私が離婚を決意したとき。最後の母の涙はこたえました。
母が自分のせいでこうなった、と思っていることを言いながら見る間に目を真っ赤に腫らしていくんです。
あんなに母が泣いたのは、自分の手術よりも父の死よりも、この時でした。
びっくりしました。
でも、今思うと、母があの時自分がずっと抱えていた痛みを私に見せてくれたおかげで、前に進むことができたと思います。
…と、話がすごく飛躍しているようですが、これはこのコラムを使って私が自分の痛みに入ると言うことをしてみたんです。
日常的なことにこんな痛みや悲しみはまるでないかのようか、あたりまえすぎて痛いとすら感じていないことが私たちにはあまりにも多いのかもしれません。誰かが自分の痛みにそっと触れてくれたとき、痛みを痛みとして認識することから始まることがあるんですね、私の場合、母の涙であったわけですが。もちろん母の涙だけでなく、友人や私の身のまわりの人のちょっとした温かさが、自分が傷んでいることにさえ気づかないでいる私に痛みを感じさせてくれたように思っています。
自分の痛みに向き合う機会は、新しい自分に出会える機会かもしれません。自分の痛みを感じること、入っていくことは怖いかも知れませんがそこにはすばらしいギフトが待っているような気がします。
そして、痛みと向き合えたら次は誰かの痛みを優しく包んであげられる人に、あなたがなれるのではないでしょうか。
それはまるで、コートの襟を立てて肩をすぼめて歩く人に優しく降り注ぐ、ちょっとした木漏れ陽や、陽だまりのようなさりげないやわらかさ、温かさかもしれません。見回してみると、あなたの周りやあなた自身の中にも、そんな優しさがたくさんあるかも知れません。気づいていますか?いや、もしかしたら…あまりにもあたりまえでささやかで、気づかないくらいにそっとあなたを包んでくれているかも知れませんね。
中村ともみ