●When our child was born…

その瞬間は兎にも角にも「ホッとした・・・」というところでした。
子どもが出来たことが分かった昨年7月から、一時は切迫流産などで危ぶまれながらも、無事に会うことができたんです。
実際に妻の陣痛が始まるまでは、
「感動したっ!」
とか
「生まれてきてくれてありがとうぉ!!!(号泣)」
とか、
色んなセリフを考えながら、とてもドラマティックな展開を予想して、一人で感動モードに先走ってた(妄想してた)たり、
また、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのように立会い出産中にぶっ倒れるんじゃないか?という強い不安と恐れを感じていたりしてました・・・。
が、実際は、本当に心から安堵した・・・という静かな、でも、とても深いものでした。
会ったことのある方はご存知かと思うのですが、「遠近法を無視した夫婦」と皆に揶揄されるがごとく、うちの奥さんはとても細いんです。
明らかに骨盤も小さくて、とても普通分娩は難しいんじゃないか?下手を打てば母子ともに命に関わる事態になるんじゃないか?と、子どもが出来た当時からどこかしらに不安を抱えていました。
しかも、妻はもともと生理痛が重く、何回もその痛みから失神したことがあったので、生理痛なんて比じゃないと言われる陣痛に耐えられるのか?という思いもありました。
だから、帝王切開になってもいいから、母子共に無事に生まれてくれたらそれだけで良い・・・っていうか、とりあえず生きていてくれさえすれば、何でも良い・・・というのが、僕の偽らざる本音だったんです。
子どもが生まれた次の日に早速、原と“祝いと称して”飲みに出かけたのですが、彼曰く「2月ごろのねむねむ(僕のニックネーム)はやたらピリピリしてたことがあったもんなあ・・・」とのこと。
実際、ここ数週間は誕生が近いことを悟ってか、うちの奥さんも僕も、どこか忙しなく、眠れない日や逆に起きられない日が続き、情緒不安定なところもあったのかもしれません。
自覚は無かったんですけどね。
今から思い返してみれば、仕事も立て込んでいて確かに平常心はどこかしら見失いがちだったかもしれません。
だから、子どもの体が妻の体から出てきたとき、何よりもただただ安堵を覚えたのでした。
あまりに安心しすぎたせいか、最初頭が出たときの記憶はあるものの、体から出た瞬間の記憶は飛んでいてないんですよね。
必死にいきんでいる妻の顔を見てたのかもしれません。
そんなちょっとした記憶の隙間に娘は生れ落ち、そして、父となった僕は思い切り安堵の息をついたのでした。
1週間の早産で、体重が1964グラムしかなく、数日はNICU(保育器)で過ごすことになったのですが、そんなことは関係ないですね。
無事に生まれ、元気に泣いてる声を聞いたら、それだけで十分、と思いました。
むしろ、妻の細い体を潜り抜けてくるんだから、それくらい小さくないと出られなかったのかもしれません。
それに、時間的にも僕の仕事をキャンセルさせることもなかったわけですから、何とも親孝行な娘です。
名前は“深希(みずき)”って付けました。
深希の誕生には色んな不思議、偶然が付きまとっています。
妻の先週のコラム(たまたま、妻、僕と続くコラムウィークに生まれてくるのも、また、憎い演出をするものです)でも、触れられているところですが、僕の目からも描いてみたいと思いました。
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僕らはここ数年ずっと子どもが欲しくて、でも、なかなか出来なくてヤキモキしてたんです。
それで「まあ、そのうち出来るんちゃう?」なんて思って、特に排卵日とかも意識しなくなった途端、出来たんです。
『「欲を手放せば、手に入る」ってほんまやねんなあ・・・』と妻と笑いあったものです。
でも、そんなすぐに出来るとは思っていませんでしたから、妻もいつもどおり家事をしたり、遊びに行ったりしていたんです。
ところが生理が遅れてるなあ・・・と思っていたら、ある夜、ひどい腰痛になって動けなくなる、という事態が発生しました。
僕はその時一人で東京出張中で、妻は実家に帰っていたのですが、仕方なく、妻はそこで安静にしてなきゃいけなくなったんです。
でも、もし、そこで腰痛がなく、いつもどおりに色々動き回っていたとしたら、深希はそこで流れてしまっていたのかもしれません。
自分が生まれるために、母親の体を動けないようにした???
その後、妊娠が分かって数週間は実家で安静にしていたのですが「体調も安定してきたし、定期健診終えたら江坂の二人の家に戻るわ」という、まさにその日に出血。
切迫流産とのことで、そのまま入院することになりました。
病名を聞いたとき、びびりましたよ。
「流産に切迫した状態」なんですけど、まるで「流産しちゃった状態」のように聞こえるじゃないですか・・・。
そこから妻は3週間入院。
これも、深希が自分が生まれるために取った策なのか???
もしくは、早速、僕から切り離して、お母さんを独り占めか???くそーっ!(笑)
確かに、そのまま江坂に帰ってきてしまえば、ついつい家事に動いてしまう妻のことですから、流れる可能性は高かったわけです。
妻は入院して退屈しきっていた3週間が終わり、それから後、我が家では急ピッチに準備が進んでいきます。
5ヶ月目に入った10月にはもう性別も分からないのに名前だけ決まっていました。
名前の由来は漢字を見ると「深い希望を持って欲しい」という願いを込めたことに見えるのですが、実際はちょっと違います。
5ヶ月目くらいになると少し出てきた妻のお腹を触るとビリビリするんですね。
それが面白くて「そろそろ名前決めなきゃね」なんて言いながら、びりびりするお腹を時々さすってたんです。
妻:「男だったら“晴明”がいいっ!」(おい、お前、陰陽師読みすぎ)
僕:「女の子だったら“真葛”がいいなあ」(おい、あんたも陰陽師の影響受けすぎ)
とか色々遊んでたんですけど、あるとき、お腹に「お前、なんて名前がいいんだ?」って半分ふざけて聞いてたんですね。
そしたら「みずき」って名前がピンと頭に浮かんだんです。
ん?そんな名前、俺のボキャブラリには無いぞ・・・と思いながら、妻に
「こいつ、“みずき”て名前がいいって」
て言うと、妻も
「!!!!私もそれいいと思う。“みずき”にしよ、“みずき”」
それが由来です。
だから、本人には「あんたが選んだ名前なんだよ」と伝えるつもり。
漢字は画数とかもあるので、後々「たまひよ名付けサービス」というのに申し込んで、その中から“根本”にあう画数のものを選びました。
二人とも「深い希望」の「深希」が気に入ったんですね。
ちなみにこのサービス、800種類も“根本”に合う名前を選んでくれるんで、ありがたいのですが、800もあったら選べねーぞ・・・と。
(たぶん、次の子どもの名前は、この中から選ばれるんだろうな・・・(笑))
その後、6ヶ月目にはほんとに偶然エコーで「たぶん、女の子だろう」ということが分かり(普通は8ヶ月目くらいにならないと教えてくれない)、7ヶ月目には早くも妻の入院準備が整い、そして、いよいよ生まれるのを待つばかりとなりました。
因みに源河の家からベビーベッドを引き取ったのはまだ5ヶ月目の頃です(笑)
しかも、実際に予定日よりも4週間も早く生まれてくるなんて、ほんま、先走った家族ですな・・・。
(ま、切迫流産すると早産する可能性も高いらしく、早め早めに準備してたんですけどね)
そして、実際に生まれる数日前にも軽い陣痛が来て朝早く病院に向かったんです。
結局その時は、入院した途端、陣痛が収まったんですけど、それもまた、深希が生まれるために仕組んだ手立てなんじゃないかと思えるんです。
だって、普通は10分置きの陣痛が起きてから病院に電話し、指示を仰ぎ、出産となったらそこから病院に向かうんです。
でも、その間に破水したり、陣痛が強くなって動けなくなったり、トラブルも起きやすい時間帯でもあるんですね。
ところが、うちの妻はもうその時には入院しているわけですから・・・余程のことが無い限り安全なわけです。
深希が仕組んだのか、それとも、理加が無意識で仕組んだものなのか、一連の流れがすべていい方向にいい方向に、無事に生まれるように向いていたように思えます。
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そんな中で、5日の夜、その日の仕事を終えた頃に妻から連絡が入り、病院に向かったのは21時ごろでした。
陣痛は18時ごろから始まっていたようで、長い夜が始まりました。
病院に向かうタクシーの中で、不安と期待が入り混じった気持ちで窓の外を眺めていたんですね。
腹はだいぶ括れてましたが、実際は初めてのことですから、何がどうなるのか、全然分かりません。
けっこう緊張もしてたと思います。
テンションも高かったですし(笑)
そして、陣痛室にいる妻に付き添い、だんだん強くなる陣痛に合わせて、背中をさすり、腰をマッサージし、頭をなで、抱きしめ、手を繋ぎ、瞑想をし(笑)、“その時”がやってくるのを待ちます。
待つ、というのは本当に辛い作業で、最初の数時間はあっという間に過ぎたものの、眠気が強くなる午前3時過ぎぐらいから、だんだん意識が不思議な方向に向かっているのが分かります。
眠気と疲れと気疲れと心配と不安と恐れが重なって、薄暗い部屋の中で、何か神聖な儀式が執り行われているような、ある種、幻想的な気分になっていきます。
妻は痛みでそれどころではなかっただろうけど・・・。
意識も朦朧としてきて、だんだんイライラもし始めた午前6時に子宮口が全開となり、いよいよ、出産の本番ですね。
だんだん痛みが強くなるようで、妻の声も大きくなります。
僕はどうすることもできずに、ひたすら励まし、背中をさすっていたように思います。
少しずつ明るくなるのが感じられる部屋の中で、トランス状態になってたのかもしれません。
ただ、このセラピーの世界にかれこれ6,7年以上はいる僕ら二人のこと、そんなつもりはないけど妻は呼吸法を自然と身につけているようで(助産婦さん達に、すごく上手、なんでそんな上手なの?と言われてた)、また、妻の叫び声にも慣れてる僕はそれに臆することもなく、このプロセスに向き合っていけたんです。
まあ、妻の感じている痛みなど、それどころじゃないものなんでしょう。
分娩室に移って2,3時間の間、本当によく耐えたと思いますし、女の本能、女の強さというのをまざまざと見せてもらいました。
こんな痛みを乗り越えられるんだから、男が女に敵うわけが無いわな・・・と後から深く深く実感したものです。
よくカウンセリングやセラピーでも「痛みを乗り越えて与える」なんてことを言うのですが、この出産のプロセスこそ、まさにその極みなのかもしれません。
今までの僕の考えや、アドバイスなど単に浮ついたもののように思えるくらい、その現場の持つパワーはすごいものがありました。
でも、そこは修羅場というか、戦場というか、やはり、人が一人生まれるというのは、並大抵のことではないんだ、ということを思い知らされます。
お医者さん、助産婦さんが何人も集まってきて、出産のプロセスをそれぞれの役割を通してサポートしてくれます。
妻は必死に産もうとしています。
苦痛にゆがみながらも、呼吸を深め、強くいきんでいます。
僕はそこでは背中をさすり、頭をなで、手を握ることしか出来ないのだけれど。
そして、長い格闘を経て、そこにいるみんなの
「頑張れ、もうちょっと、もうちょっと、もう一息。もう生まれるぞ。もうすぐだぞ!頑張れ」
「もうちょっと。はい、今、いきんで。うん。上手上手、すごく上手だわ。もうちょっとよ。」
という声に押されるように、11時6分、深希はこの世に生まれ落ちたのでした。
すぐに泣き出して、処置をされ、ベッドに寝かされた深希を見て、本当にホッとしました。
その時の妻の目からは自然と涙があふれ出ていて、でも、その表情というのが、なんだか、ものすごく神々しく見えました。
そこで僕も初めて、じーんと胸に感動を覚えたんです。
「みんなの力が無かったら、絶対こんな風に産めなかった。本当にありがとう」
これが妻の第一声でした。
そして、今、生きている人は、みんなが形こそ違えど、このプロセスを通してきているんですよね。
帝王切開でも、早産でも、何でも。
母になった妻を見て、そして、自分の母親を感じました。
僕の母親の愛情深さは超一流なのですが、それも深く納得させられます。
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深希が生まれた病院ではカンガルーケアというのをしてくれます。
生まれたばかりの子どもを、お母さんが実際胸に抱いて1時間あまりを一緒に過ごさせてくれるんです。
今ではけっこうメジャーらしいのですが、母と子の絆が深まる大切な儀式です。
そう、ほんと儀式なんです。
さっきのトランス状態から抜け出して、全身ぼーっとなってるところでしたから余計、じーっとその姿に見とれてしまいました。
やはり神々しさを感じてしまいます。
身を正して向き合わなければいけない神聖な儀式のように感じます。
ちょうど聖書の世界を描いた絵画を思い出しました。
聖母マリアが赤ちゃんのイエス・キリストを抱いている絵。
そんな風景が目に浮かびました。
人間ってこんな凄いことをしてしまうんやな・・・なんて思ってました。
妻を本当に尊敬するし、生まれてきた子どもにも深い感謝の念が生まれます。
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その日の夕方の面談に合わせ、カウンセリングルームに向かったのですが、その頃からひっきりなしに「おめでとうメール」が入り始めました。
カウンセリングルームではみんなに「おめでとう」と言われた後、「なんかスッキリした顔してるなー。あんたは何を産んで来たんや?」と何ともカウンセラーらしいツッコミも頂きました。
何を産んだんだろう・・・???
今はまだ分からないですね。。。
でも、何か変わったよ。本当に。
また、一つステップを上ったよ、確実に。
深希が生まれたことで、その出産に立ち会えたことで、妻との絆はとても深まり、また、お腹の奥のほうで、またデンとした土台が出来たように感じています。
それが最初に実感した変化でした。
妻も、その瞬間から母の顔になり、母の態度になっていました。
翌日顔を見たとき
「もー、朝から体がめっちゃ軽くてスッキリー!嬉しくて、あちこち歩き回ってたら助産婦さんに『安静にしててね』って怒られちゃった・・・」
「あの痛みに比べたら、もうその他のことなんてヘッて感じやわ」
とのたまっておりました・・・。
女は強い・・・。
元々強いが、また強くなっちゃった・・・。
これからはもっと過酷な日々が続きますよね。
田村や山本、うちの先生ら、子育て経験者からは、とてもありがたく、そして、背筋が寒くなる(笑)講義をたくさん頂きました。
「これからが大変やでー。夜中に・・・」
「俺もどんだけしんどかったか・・・」
「嫁さん変わるでぇー・・・」
「もう、ひたすら耐え、頑張る、これだけやな」
先輩方よ、お願いだから、もう少しいい夢見させてよ・・・。
最後になりましたが、お客さまや仲間達から色んな励ましや応援、冷やかしの言葉、そしてたくさんの安産のお守りをありがとうございました。
生まれるのも、産むのも本当に一人じゃないんですよね。
妻もみなさんのその思いを受けて、無事、出産を終えることが出来ました。
本当にありがとうございました。
非常に長くなりましたけど・・・読んでくださってありがとうございます。
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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