●泣くこと

35歳になる小川はよく泣きます。
本当によく泣きます。
「大泣きした」「涙が出た」などの表現を頻繁に出し、コラムを書いていることに、
私自身最近気づきました。
嬉しくてたまらないときも涙が出ますが、
寂しいとき、苦しいとき、思い切り泣きたいと思うことってありますよね。
子供の頃はそれを自然と当たり前のように出来ていました。
なのに大人になるにつれ、
それが出来なくなってきます。
「泣いたら親が悲しむ」「泣いたら迷惑がられる」「泣いたら嫌がられる」
など、誰かに対して気遣ったりするとき。
「泣いたら馬鹿にされる」「泣いたら怒られる」「泣いたら弱く見られる」
など、自分を守ろうとするとき。
生きていく中で、「泣くこと」自体が私たちのこころの中に封じ込められてしまいます。
これは誰だって経験あることだと思います。
私がカウンセラーの道を歩み出して、私は自分が今までよりよく泣くことに気づきました。
今では随分楽になりましたが、時々昔のことを思い出すことがあるんですよね。
父が生きていた頃、父の気持ちが分からなくて傷つけるようなことをいっぱい言ってしまったこと。
自分のことしか頭になくて、母がどれだけつらい状態で孤独だったかを考えてしまうとき。
離婚した主人に、相当ひどい態度をとっていたということ。
誰かとこじれたとき、コミュニケーションがうまく行かなくて喧嘩になったとき。
ほとんどの場合が「私が悪かった」という「罪悪感」にまみれたときですが、
そんなときいっぱいいっぱい泣きたくなります。
泣くときは例え一人であっても大声で泣きます。
誰かに聞いて欲しいときは友人に電話して泣きじゃくります。
主人に泣きつきます。
誰もいないけど聞いてほしいとき、泣きじゃくりながらメールでたくさんの人に吐き出します。
感情が激しく出ると、エネルギーをとても使うものですから、
ひとしきり泣きじゃくった後は相当疲れます。
そしてしばらくぼーっとします。
すると、すっきりするんですよね。それに気持ちの整理が出来るんです。
泣いてるときはほとんどの場合「自分」に意識が集中します。
だから周りのことに頭は働きません。自分のつらさのつぼに入っちゃって、どっぷりつかってる
状態だから、つぼの外側ではどうなのかを見られないんです。
だけど泣くと、つぼの中の涙は全部出ますから、周りを見れるようになるんですね。
そうすると少し冷静になれる自分がいます。
からになったつぼに新しい情報が入る余裕が出来るんですね。
少しでも余裕ができると意識は「自分」に集中せず、「周り」に向かいます。
「もしかしたらあれは実は、こういう事情があったからじゃないか」
「私の誤解かもしれない」
「相手も私と同じようにつらいのかもしれない」
「ああ言われたことって、実はすごく有難いことでもあったかも」
自分の思い違いかもしれないことや、感謝の気持ちなどが次々と出てくるようになります。
なかなか難しいことでもありますが、そうして相手の気持ちが「理解」という形で受け入れることが
出来たなら、すごく自分を誉めてあげたいとも思うんです。
そして、
「大泣きしてよかった」って私は思えるんですよね。
私にとって、「泣くこと」は、
自分の感情に素直になること。楽になることの他に、誰かを「理解」するための小道具でもあるんです。
思い切り泣いて愚痴った後は、すっきりするし、楽になるし、余裕ももてる。
泣くことをついつい抑えてしまう大人になった今だからこそ、人とのコミュニケーションを大切にしたいとき、
私は大いに泣きます。
「よ〜泣くやつだなぁ」「みっともないなぁ」と思われる方も、もちろん大勢いるとは思いますが、
それでも私は「泣くこと」を我慢しません。
泣くのを我慢するよりも、すっきりと楽になって、楽しく生きることを私は選びたいと思っています。
小川のりこ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

アルコール依存症の父からの虐待経験、学生時代のいじめから、恋愛依存、不倫や風俗を経て、自分を抑え付けるような結婚生活後、8年で離婚。その後自分に向き合い、今は穏やかに生きる。 過去のあらゆる経験をもとにして、恋愛関係、家族関係を得意とし、お客様と共に成長するスタイルを取る。