一人でいる時間、どう過ごしていますか?音楽を聴いたり本を読んだり、ゲームやネットに夢中だったり、ぼーっと寝てたり、テレビを見てたり…といろいろ過ごし方はあると思うのですが、あなたはどんな「ひとりじょうず」でしょうか。
私は実は今まで一人暮らしの経験がなくって、必ず誰かと一緒に生活をしているんですね。だから大人になった(なりすぎた?)今も一人暮らしにちょっと憧れているんですよ。孤独好き、ということはまあ、ないでしょうね。でも、一人になりたいっっっ!!と思うことは多々あります。
そういえば最近息子たちも「早く家を出るねん」「一人暮らしをしたい」と言ってます。
そして、そうなる日もそう遠くないかもしれません。
彼らが一人暮らしをしたいのはきっとこんな感じでしょう。
「好きなものを毎日食べられる」「好きなだけ夜更かしできる」「色々煩く言われずに済む」「邪魔されたくない」…まあ、お互い様、というところで親には親の言い分もあるのだけど。
一人暮らしの経験が無いせいか、私は一人で食事をするのがとても苦手なんです。
家にいるときには、その辺の手近なもので済ますことばかり。時間も不規則で、本当に適当です。
お料理は苦にならないのだけど(片付けは苦になる…)、自分だけだと意欲的にはなれません。かといって外食はどうか、と言うとこれがまた苦手で、一人で外食をした、なんていうのは今まで本当に数えられると思います。
それも出張などでやむを得ない時くらい。それさえもコンビニ食品を買って部屋で食べる、というくらい。食べることに関心がないわけでもないのです。
友達と食事をするときにはどれもおいしそうに見えて言われるのです、「二人で何人分注文してるねん」って。たくさん食べたいわけじゃないんです。
一緒に食べるのがただ楽しい、そんな感じかもしれません。
ワークショップの打ち上げには、大勢で居酒屋で盛り上がります。
私は大阪での時はたいてい車で往復しているのでお酒は飲みませんが、盛り上がり方はそう変わらない…かも。大勢でいろんなものを少しずつ食べるのが、今はとても楽しく感じます。
家では、というと、頭数は三人なのになぜか料理は五人前くらい。もちろん息子たちがほとんど食べるのですが、場合によっては(私の帰宅が遅いときなど)作り置いている五人前が空っぽになっていることも。育ち盛りなので、ありがたいことなんですけどね(^^)。
そんなわけで、一人でいると感じる時間が殆ど無いことを最近思っていました。
車の中とか、お風呂とかお手洗いとか、本当にそんな感じです。
中でも車の中、って言うのが一番心地よい場所かもしれません。私の車の中では殆どずっと音楽をかけっぱなし。カーオーディオに凝っているわけではないんですが、ソースがCD、MD、カセットのどれでも使えるものを車を買うときに探してもらったんです。
結局、ほとんどMDばかりを聴いていますが、最近、不調で、接触が悪いらしく表示が全くでないにもかかわらず音はちゃんとなり続けているという、「頑張り屋さん」のデッキが愛しくて、、、。音楽をかけながら遠回りをして帰ることも、けっこうあります。
車に乗るのが好きなのは息子たちも同じ。私の予定があいているときには三人が揃う時間に(たいていは真っ暗ですけど)車を出して、行き先は決めずにドライブをします。
決まって助手席には長男、次男は後部座席にでれーんとするのが好きなようです。
いろんな話をします。
学校や友達の話、観たいあるいは観にいった映画の話、日ごろ思っていることやテレビの話。一緒にいる時間が少ないので車に乗っている時間は確実に私といることができるから、会話がはずむのかも知れないな、と思ってはいるのです。
ミドルティーンの二人は、日常の生活を見ていると母親なんていなくても大丈夫やないかな?と思ったりするのです。
でも、こんな時間が大好き、と言うのは隠しません。面と向かっていうときっと怒るのでここで言っておこう。「あんたたち、かわいいわよ(^^)v」
話を戻しますが、こうして考えると私が一人暮らしをしなかったことで手に入らなかったものと、いつも誰かといることで気づかないけど手にしてきたことって両方あるんだな、と思いました、まあ、当たり前のことだし反対のシチュエーションでもそうなんですが。
子供たちと話すことで本当にたくさんのインスピレーションや優しさや、目には見えない豊かさたくさんを受け取っているな、と思います。
私が親と一緒に暮らしていた時代も、親にとってそうだったんだろうか?とごくまれにですが(笑)思います。
自分としてはあんまり親の役に立っていた感覚がないのですが、息子たちがどうかというと、もしかしたら同じ年頃の私の方が物理的には少しは「役に立ってたかな?」って思います、息子には言えないけど。でも、息子たちの存在が私にこんなゆとりをもたらしてくれているですよね。
まったく違った視点を持っていることをあたりまえに受け入れられる気がします。
これがもし、パートナーだったらどうなんだろう。ある意味目の高さが同じことをお互いに当然と思い、相手に要求する関係性です。
離婚の理由のもっとも多くを占めるという「性格の不一致」は考えてみればまったく生まれも育ちも違う二人が夫婦として生きていくわけですからあたりえのはずです。
それどころか、違いこそが魅力だった時代があったはずなんですよね(ちょっと遠い目をする私…)。でもなぜか言われる性格の不一致。
自分自身の経験を元に考えてみると、私にはひとつの答えがあります。
それは、「性格や趣味の不一致はなかった。でも、価値観・人生観・世界観が合わなかった。」ということ。これは、別離や離婚を肯定しているわけではありません。でもね、がんばっても、互いに努力しても本当にどうしようもないときはあるものなんです。
ただ、これを逃げにして良いとは思わないんですね。離婚や、パートナーシップに関して私のカウンセリングを受けられた方は思い当たる節があるかもしれません、私はたいていこう言うんです。
「どうせ終わるかもしれないんやったら、今やれることをしておこうよ。」と。
これは体験的に思うことなんですね。たくさんの恐れを抱えて生きていると、ちょっとしたことで逃げてしまったり、隠れてしまったりします。
でも、です。
今までに行ったことのないエリアにしか答えがないことがあることが少なくありません。これは、この関係性が続くにしろ終わるにしろ、いつかは超えない限りエンドレスになる可能性があります。
そして一度超えたボーダーラインは、次にはきっと楽に超えられる。これもまた、私の体験的から感じることです。
今、この関係をどうしようかな…と思っておられるとしたら、一人の楽さを思っているのかもしれません。私にもその気持ちは本当によくわかります。
でも、一人ではやっぱり超えられないラインがある、と感じることもまた少なくないのです。
そんな時、思い浮かべる顔は?だんな様や奥様、彼氏や彼女、子供、親友…。
二つの目より四つの目。二つの耳より四つの耳。二本より四本の手、そして足。一人より、やっぱり二人。
誰かを本当に必要と感じてみるときなのかもしれません。誰かを当てにしてみてくださいね。
中村ともみ