最近、先輩であるカウンセラーの方に、
「自分で思う、日本人の良いところと悪いところって何だと思う?」
ということを聞かれ、そして私はこう答えました。
「良いと思うところは、性格が丸いところかな? 日の丸って、日本人の
柔らかい、優しい、穏やかさ・・・みたいなものを表してるように思います。
」
「悪いところは・・・。『ごめんなさい』が多いところかな? 日本人って、
ありがとうって感謝を伝えることより、すぐ先に誤っちゃいますよねぇ。」
だけどこれは「日本人」というものを通して、私たちが自分をどう見ているか
という、心理学でよくいう「投影」だったんですよね。
結果、「小川は、丸い穏やかな人柄だが、『ごめんなさい』の気持ちが多い
人間でもあります。
」
ってことになるんです。
実は、この『ごめんなさい』
私の長年のテーマでもある「罪悪感」なんですよね。
人は誰しも多少はあると思います。
「私が悪いんです。
」「・・・と考えることは、私が悪いんですけど。」
というお話は、カウンセリングの現場でもよくお聞きします。
私は昔、極端にこれがすごかったんです。
私は長年のいじめ体験がありますので、常に
『ここにいてごめんなさい』
『生きててごめんなさい』
『迷惑かけてごめんなさい』
『気持ちわるがらせてごめんなさい』
『不快にさせてごめんなさい』
と考えてました。
だからこの質問には正直ドキッとさせられましたね。
普段自分が『ごめんなさい』を背負っていることを意識してはいません。
それに、今ではこの気持ちも随分楽になりましたし、
相手に対する怒りはほとんどありません。
だけど、人の経験は消えませんから思い出したり、いきなり顔を出したりしちゃ
います。
今は
『幸せになってごめんなさい』
『楽しくなってごめんなさい』
『良いお嫁さんでなくてごめんなさい』
『頼ってばかりでごめんなさい』
が時々出てきたりします。
人は『ごめんなさい』と仲良くなりすぎてしまうと、自分をたくさん攻撃してし
まいます。
「私って最低!」
「なんでいつもこうしてしまうの!?」
自分のことをちっぽけに扱ったり、こころの中で罵ってしまったり。
それが強くなって、自分を責めるのが余りにも痛すぎてしまうと、その気持ちは
社会に向けられます。
「きっとお前もそう思ってる。」「そう思ってるに違いないわ。」
周りは私を非難しているわけでは決してないのにね。
カウンセリングをしている私も、一人の人間なので、当然分かっていてもこうい
った感情に振り回されることがよくあります。
分かっているからこそ、振り回される自分に頭に来ることもよくあるんです。
とてもとてもとても悔しいとも思ってしまうんですけどね。
そしてこれを抜けるのは「許すことと感謝すること」。
このHP上の心理学講座でも何度か書いていますよね。
だけど私は自分が罪悪感ストーリーをすぐ作ってしまうことが非常に得意です。
「ああ、私がこうしなきゃよかったんだ。相手はこんなふうに思ってるかもしれない。
そうすると、私にも責任があって・・・。」
と考えはとりとめなくなってきます。
すると旦那様が、
「のりちゃん、ダークストーリー(暗い話)になってきてるよ。」
と鋭いつっこみを入れてくれるのですが・・・。
『ごめんなさい』が出てくるとき、そこにはきっと「その人のおかげで得た何か」が
あるはずだと考えるようにしています。
悪かったという思いは、相手に対して「こうしておけばよかった・・・」という気持ち
が出てきますから、次に『ごめんなさい』にならないように考えるきっかけを、相手の
方が教えてくれたとも取れると思います。
そしてもし、私に「誰かを許すこと」が必要だとしたら、
もし、誰かまだ許していなくて、感謝することをしていないのだとすると、私の場合
は「ちゃんと出来ていない私」に対してかもしれません。
私は自分で自分が「罪悪感ストーリー」をすぐ作る人間だということを分かってい
ます。
人に対して、『ごめんなさい』という感情がよく出てくることも分かってい
ます。
多分これからもこの感情とはずっとお付き合いすることだと思います。
だけど私の中に、この『ごめんなさい』がある限り、意識して
「許すことと感謝すること」とも手をつないで生きていきたいと思っています。
『ごめんなさい』
そう感じることが、もしあなたに出てきてしまったら、同時に
「許すことと感謝すること」とも仲良くしてみませんか?
出来るかどうかよりも、とりあえず仲良くなってみようと思うことで、自分を責めて
苦しむことは少なくなると思いますよ。
今の私は「許すことと感謝すること」
というものが、人に与えられた幸せの法則だと思って仲良く手をつないでいます。
小川典子