●手料理

東京の出張でで2日連続のオフがありました。
しかし、オフといってもすることがありません。
雨も降っているし。
そこで、今回の東京ではまった料理作りをしようと思い立ち、ただ作ってもしょうが
ないので、偶然その場にいた竹田に「食事作りましょうか?」と言ってみました。
「作って作って〜」と喜ばれればがぜんやる気も出ます。
何を作ろうかと思ったときに、やはり自分の得意料理をふるまおうと思うじゃないで
すか。
そうして決まったメニューが「そばめし」です。
ただ、食材を買ってくると意外と量が多かったので、東京のカウンセラーでも仲のい
い寺島や北上も誘って、食べてもらおうと計画しました。
皆さんもご存じだと思いますが、そばめしは神戸発祥の料理で、私は子どものころか
ら食べていました。
簡単に言えば焼きそばにひやめしを混ぜて炒めたものなんですけど、東京で売ってい
るそばめしって、麺が結構短いんですよ。
私がよく食べていたそばめしは、結構麺の長さがばらばらで、時々なが〜い麺が混
じっていたりして、それがなんとなくラッキーな気分になったりするんですよ。
中華炒めにうずらが2こ入っていた気分ですね。
竹田は昔神戸に住んでいたことがあったので、じゃあ、なつかしの料理でも作ろうか
ということで、さらに寺島や北上は本場のそばめしを食べたことが無い感じだったの
で、できるだけおいしいそばめしを作ってあげようと、かなりがんばりました。
結果、評判は上場で、このまま料理にはまってしまいそうでちょっとうきうき気分で
す。
おいしそうに食べてくれる誰かがいると、作りがいがありますよね。
でも、このときふと感じたことがあります。
今まで、母親や妻に作ってもらった料理で、こんなに喜んで食べたことがあっただろ
うか?
妻に対しては、結婚当初あまり得意ではなかった料理をいっしょうけんめい作ってい
る姿を見て、「自分のためにこんなにがんばってくれているんだなぁ」と感じていた
時期がありました。
でも、それも1年もしないうちに、それが当たり前のように感じていて、いつの間に
か作ってくれることのありがたさを忘れてしまっていた気がします。
それどころか、もともと妻の実家は仕事の関係上外食が多い家だったので、1年のう
ち大半が外食になってしまい、「作ってくれない」ということで相当怒っていた時期
もありました。
最近では、引越しを期にお互い健康に留意するようになって、外食はほとんどなくな
りました。
それと同時に、仕事から帰ってきて暖かい食事を出してくれる妻に対して、結婚当初
のような「ありがたさ」を感じられるようになって来た感じがします。
だから、今回のように「誰かに作ってあげよう」なんて思えるようになったのかもし
れませんね。
では、母に対してはどうだろう?
母に対しては、なんか料理を作ってくれて当然、それを毎日普通に食べることができ
て当たり前みたいな感覚があり、やっぱり、ありがたさをぜんぜん感じてなかったよ
うな気がします。
もしかしたら、ありがたさはどこかで感じていたこともあったかもしれません。
でも、その「感謝」の気持ちをうまく伝えることが恥ずかしくてしてなかったのかも
しれません。
それでも母は、毎日何も言わずに家族のために今日も料理を作っています。
いつもどんな気持ちで料理を作っているんだろう。
私たちが食べているのを見て、母はいつも何を感じていたんだろう。
そんな風に感じながら、みんなに料理を作ってみると、竹田や寺島、北上のおいしそ
うに食べている姿が、まるで久しぶりに実家に帰ってきた彼女たちに料理を振舞って
いる親のような感覚になり、ちょっとうれしくなりました。
皆さんは、誰かが作ってくれた料理を、当たり前のように食べてませんか?
たとえばそれがファーストフード店の料理であったとしても。
「自分のために作ってくれる」
これって、実はすごく素敵なことなんですよね。
私も忘れてました。
誰かの作ってくれた料理を食べることができる幸せ。
そして、作ってくれた人たちへの感謝の気持ち。
「今度は妻のために何か作ってあげよう」
今はこれを実行するのがすごく楽しみです。
妻と一緒になってもうすぐ丸6年。
彼女に、言葉ではないたくさんの「ありがとう」を送ってみたいな。
そして、いつも心配ばかりかけている母にも。
たとえけなされようが小言を言われようが、「自分の気持ち」を伝えていきたいな。
そして、また東京にきたら今度はみんなに何を作ってあげようかな。
料理を作りながら、ふとそんなことを感じた2日間でした。
中原 謙一

この記事を書いたカウンセラー

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