私は、人観察をよくします。
生きている関係上、周りに多くの人がいるので、この観察が止むことはないか
もしれないですね。
さて、一番のビューポイント(ちょっと意味が違いますか・・・)は、駅・電
車の中です。
まぁ、仕事以外の多くの時間が私の場合、駅・電車の中ということにも関係し
ますが。
ある日、駅の券売機の所で、私の興味を引くおば様を発見!!!
O「ちょっと〜〜〜こんな時、どうしたらいいのよ〜。まったっく・・・」
券売機と券売機の間の窓が、バタンと開いて、駅員さんが顔を出して
駅「いやぁ〜。はい。すいません。はい。」
O「10円お釣りが足らないわよ。早くしてよ〜」
駅「はい。いやぁ〜。あっ、こっ、これですね。はい。はい。すいません」
と、すっと10円を拾って、おば様に渡す駅員さん。
その10円を奪い取るようにして行ったおば様。。。
この様子を見ていた私は、おば様がイタイタしかった(><)
おば様自身も苦しかったのじゃないかな?
先ず、おば様の最初の一言が怖かった、お釣りが足らず、絶対に駅員さんに否
があるに決まっているという勢いで、「まったく・・冗談じゃないわよ」
しかし、ちゃんとお釣りは出てきてて、コイン受けの端っこにある10円をお
ば様は、見落としていて・・・。
ここで、最初にどんな姿勢で駅員さんに言えばいいかを考えてみた。
「すいませ〜ん。おつりが10円足らないみたいなんですけど???」
すごく普通だ。しかも平和的だ。これ以上言い方は無いと思われる。
次に、10円を見落としていたのを、駅員さんは不満顔一つ無く、どちらかと
いうと笑顔で手渡してくれた時の、おば様の行動も怖かった。「馬鹿にすんじゃ
ないわよ」顔で、奪い取るようにして行ったおば様。。。
ここで、どう対応すればいいか考えてみた。
駅「こ、これですね。はい。」
少し照れながら、「すいません。見えてませんでした。
ありがとうございます」
さらに、「えへっ」なんてつけたら、場もなごむつーもんだ。
かなり平和的だ。
どうしてこんな普通なことが、あのおば様は出来なかったのだろうと考える。
自分の否を認めるのが、そんなにも嫌なことなのだろうか?
否というほどのたいした出来事でも無いじゃん。
こんな簡単なことで、「ごめん」って言えないと、世の中大変じゃないか?と
ついつい思ってしまう。
でも、よく考えると、私も自分の否を認めたくない時って、かなり意固地になっ
てたりする。認めたくないというより、認めすぎてるからこそ、今更変更が利
かない感じかな。素直さに欠ける。。。
う〜ん。人のふり見てなんとやら。
よく、歩いていて前から来る人に道を譲ろうとしてよけると、同じ方向に相手も
(意識的にかどうかはおいといて)よけて、結果的に通せんぼした感じになるこ
とがありますよね。
人によってはそんな時「邪魔すんな、よけろよ」と思いながら通る人もいるで
しょう。
でも平和を選択する時は、「すいません。どうぞ」と、先に譲ったり、「私た
ち気が合うのね。うふ」とウィンクして、恋に発展したり・・・て、無いか
(^^;
車の割り込み、ちょこっと「すいませ〜ん」て感じで手を上げるだけで、譲る
方のムカツキがなかったり。
また、逆に、当然のように割り込まれても、「いいわよ〜」ってその場は、や
り過ごしたいですね。
心に余裕を持って、いつでも平和を選択したいですね(^-^)
心の余裕は、慣れるまでは意識して持つものだとも思いますね。
きのかずよ