◇自分のため?人のため?

こういう仕事をしていると、「愛」という感情については、いろい
ろと研究を重ねる必要があります。
多分、うちのカウンセラーたち全員が持っているであろう哲学とし
て(なんせ、師匠がそうなんで)、
「心理学は人を癒さない」
というのがあります。
それは手段に過ぎず、人を癒すのは、愛情だということですね。
本当にそうだと思います。
ですから、じゃあ、愛ってどういうことなんだろうか?というのは
僕はいつも考えてしまいます。
うちの奥さんが、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コース
に通いだしてから、特にそれを強く考えるようになりました。
なぜ、きっかけがそうなのかというと、それはもちろん、奥さんが
「うちのだんなは私をあんまり愛してくれない。。。」
と言い出すのが怖いからですね。
いやあ、これは恐怖です。
根本や中原なんかは、よくやったよなぁと感心します。
それはさておいて、最近、その「愛」に関連して、
「人の為に生きることと、自分の為に生きること」と言うのについ
て、考えをめぐらしていました。
「自分を愛しましょう」とか、
「自分の為にがんばってみませんか?」
って話を聞いたことがある人は、いっぱいいるかもしれません。
僕は自分を愛するって言うことは下手なので、僕自身のことを考えた
ときに、必然的にこれはテーマになることがよくあるわけで。
たとえば、疲れているときにちゃんと休みを取る、ということも、
自分を慈しむ行為のひとつですし、自分が望むことをしていく努力
をするのもそうです。
では、そこに他人が絡むとどうなるんだろうと。
自分が、「誰かの為に何かをしたい」と考えるのは、僕はずっと愛
だと思っていたのですが、それが、単なる自分のニーズだったとし
たら、それは愛ではないのではないかと疑問に思ったわけです。
先日、そんな話をお客さんにしてたら、
「難しいこと考えてるんですね」
と言われました。
まあ、暇だというか、悩む性質というか。
そのお客さんとは、そんな感じでお互い笑ってたんですが。
でも、実際、その疑問が晴れなかったときはきつかったです。
本当に、何にも手につかなくなったこともありました。
いやあ、しんどかったなぁ〜(笑)。
結局、さんざん悩んだ挙げ句、出た結論は、
「愛するっていうことは、自分のためでもあり、人のためでもある」
ということで、自分のためだけでも、人のためだけでも、バランス
が悪いということでした。
「誰かの為に何かをしたい」と思ったとしても、それが、自分のた
めにも、人のためにもなるのなら、なぁ〜んにも問題ないんだと言
うことですね。
今から省みると、なんて当り前なことなんだろうと思うわけですが、
おかげでいろいろ収穫はありました。
自分を慈しむということは、自分にうそをつかない、ということな
んだ、とか、その他にもあげだすと結構あります。
でも、悩むと疲れます、実際。。。
悩んだら、誰かに相談すればいいのに。。。
というのも、疑問が晴れたあとに気づきました。
これも収穫だなぁ。。。
皆さんも、あんまり悩まず、相談しちゃってくださいね。
疲れますから。

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