ここのところパートナーシップにおいて奮闘しています。
クライアントさんに伝えていることが、自分のことになるとあまりできてい
ません。
できていないとわかっているうちはまだいいかもしれません。
見えていないことも実に多いんですよね。
不思議とこういうときに限ってパートナーシップのご相談が多いんですね。
「彼の愛しかたを認めてあげましょう!」
「恥ずかしさを乗り越えてハートを開いてみませんか?」
「まず自分から変わってみませんか!?」
クライアントさんとお話するたびに、
「あれれ、自分に言っているわ・・・」と思います。
しかし、有言実行のカウンセラーを目指している私にとっては、
まるでクライアントさんから背中を押されているような気分にもなるんです
ね。
一緒にチャレンジするということはとても励みになります。
“愛”って何だろうと真剣に考えた時期がありました。
形あるものだったら、それを受け渡しすることで確認できるから
相手をうまく愛せているんだろうか?とか、自分は愛されているんだろうか?
とか余計な心配せずに済むのに・・と思っていました。
目に見えないものなので、それが自分の中に本当にあるのか、
あったとしてもどんな形で表現したらいいのか戸惑っていたんですね。
愛は考えるものではなく感じるものなのに、
その感覚さえも当時はまったくわからなかったのです。
この頃は完璧に頭で考えるタイプだったんですね。
ワークショップに参加しはじめてから“愛”ってこういうことかなと
自分ながらに掴んだ感覚があります。
それは、何かしら暖かくて優しくてとても安心する感じ。
これを「与える」ことが“愛する”ということならば、別の言葉で言い換える
と、“愛する”とは大切に思ったり幸せを願うことかなと今では思っています。
自分を愛するとは自分を大切に思うこと。
誰かを愛するとは相手を大切に思うこと。
両思いというのは、お互いが相手の幸せを願って相手に「与える」状態ですね。
でもそれだけでは双方の交流がないので、
「与えて」くれた相手の気持ちを「受け取る」ことも大切になります。
心から相手に「与える」ことができて、
相手からも気持ちよく「受け取る」ことができる。
そういう二人になれたら素敵ですよね。
しかし、現実には私の前にいつも“期待”という大きな壁が立ちはだかります。
愛しているなら、願いを聞いてくれるはず・・
愛しているなら、まめに連絡をくれるはず・・
愛しているなら、もっと気を遣ってくれるはず・・
相手の行動がつい気になってしまうんですね。
これだけ愛しているなら、それと同じくらいの愛を返してもらえるはず・・
と見返りを期待する場合もあるでしょうね。
愛するのに期待なんて必要ないのに、なんで期待しちゃうのかしら??
と思いました。
だって愛はただ与えるだけでいいのに。
人によってはあまりに期待してしまうことに対して
本当は相手を愛していないんじゃないかと責める人もいらっしゃるでしょう。
でもそうではないと思うんですね。
相手を大切に思う気持ちとは別の領域で生じている気持ちだと思うのです。
期待通りにいったら“私って愛されている!”
期待がはずれたときは“やっぱり私って愛されていない・・”
期待は高い確率で裏切られるものという一般論から考えたら、
期待するということは、彼を使って「いかに私は愛されていない人か」という
ネタを自分でこしらえ懸命に言い聞かせているのかもと思いました。
そうなると、目の前にいる相手は視界から消え去り、
一人芝居しているようなものですね。
人の愛しかたにはいろいろな表現があると思うのです。
期待がはずれたからといってそれは決して愛されていないことにつながるので
はなく、相手の「与えかた」が見えていなかったり、
自分が望む「受け取りかた」にこだわっているだけかもしれません。
・・自分で書いておきながら、とても耳の痛い話になりました。
。
期待という壁に邪魔されて相手が見えなくなってしまっている方、
ひっそりとたたずんでいる愛を一緒に探しにいきませんか?
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