●昔話

こんにちは。きのかずよです。
なんかぼーっとしてたら、昔の自分を思い出して面白かったので、お話しようと。。。
私は親の前で泣かない子供でした。
そのくせ前にお話したように、しょっちゅう親の言う事を聞かない子供だったので、これまたしょっちゅう怒られていました(^^;
おかぁちゃんの言う事を聞かないで遊び続けていると、最後の最後はおとぅちゃんに、箒の持ち手の竹の部分で、オケツと太ももを叩かれていました。
今、私の太ももが、象の足と見間違うほどりっぱなのは、きっとその成果と思えるほどです(><) 太ももには一本の太い赤あざが残って、あほぅな私は、そのあざが消える前に、また親の言う事を聞かないで、またまた叩かれるというような事を繰り返し、赤青黒のあざがある太ももを、友達に見せて喜んでいる(?)ような、子供らしい子供でした。
あ〜その頃からMっ気を開花させていたのかぁなんて、思ったり思わなかったり・・・。
いやいや、そんな私のMっ気をお知らせしたいわけではなく、そんなに痛い目にあっても、おかぁちゃんおとぅちゃんの前では、叫びはするけど、泣いていなかったように思います。
叩かれた時、幼稚園生の私は、押入れかトイレに駆け込んで戸が開かないようにしていました。
トイレと押入れ、一長一短。
トイレは鍵があるんですよね。だから、気にせず涙を流して泣ける。
でも、涙が落ち着くまでにかなり時間がかかるので、狭いトイレの中、冬は寒いし夏は暑いし、他の家族にトイレ使用を許さない!!!
「お腹痛いから出られへん!」と、言えるくらい頭が回ったかどうかは、覚えていませんが(^^;
で、また怒られる。。。
押入れは鍵がないので、両手で、戸を押さえている。涙と鼻水垂れ流し。。。
でも、泣き疲れたら布団に絡まって眠り込んでOK☆ただし、夜の布団は涙と鼻
水でカピカピ。。。
少し世界が広がった小学生の頃は、叩かれると家を飛び出して、近所の親戚の家に逃げるように向かいます。
そして、涙を流しながらその道中、下を向いて歩いていました。
そして、涙が乾くまで少し遠回りして、親戚の家に着くと
「おばちゃん泊めて。泊まりたいねん」
怒られたから家に帰りたくないなんて、一言も口にせず、いとこの兄ちゃん姉ちゃんと遊びたいから泊まりにきた、と大ボラを吹きます。
そして、多分理由は知っていて、そんな私を、何も言わずに迎い入れてくれていた、おばちゃんやいとこ達。
そんな優しい親戚心も分からず、あほぅな私は、一通りいとこ達と遊んで、晩ご飯も食べておフロも入って、さぁ寝るぞって頃に
「もう家に帰りたい〜」
と、ぐずり始めるのです。
今思うと、なんて迷惑な子供!!!
「泊めろと言っておいて帰りたいとは何や〜!!!しかも飯まで食って、フロまで入りおって、何様じゃー!!!」
と、おばちゃんがキレても誰も怒らないでしょう。
少なくとも、今の私はそんな事を言うおばちゃんの味方をします。
「そんなわがままな子供は、ほぉり出してしまえ〜」
しかしおばちゃんは、そんなことを言うではなく、幼心のホームシックを悟って家に電話をしてくれてました。
幼心に、おとぅちゃん迎えに来て欲しいなぁと、期待する訳ですが、うちのおかぁちゃんは
「じゃ、歩いて帰っておいで〜」
と、電話口で言うわけです。
。。
おぅ〜ブロウクンハート(T-T)
そんなギザギザハートの私に、家まで付き添ってくれるいとこ。
ま、家まで歩いて10分弱くらいなんですけどね。
で、家に着くと、私を笑うおかぁの姿。
うちのおかぁの笑い方は、なんとも、人をバカにしている笑い方をします。
もちろん、馬鹿にしたわけではなく、意地をはった子供が、子供らしくておかしかったのでしょう。
私は、よくおかぁちゃんに、
「あんたの笑い方は、人を馬鹿にしているようで嫌いや」
と、言われます。
それを言われるたびに、
「あなたの子供だもの」
と、思うわけです(^^;
嫌なのに、おかぁちゃんのマネをしてしまったようです。
母娘というのは、なんとも言えない関係ですね。。。
きのかずよのプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。