●「血」と「地」のつながり〜息子の出発〜

 友人夫妻の話を聞く機会があった。元々息子たちの保育所での関わりがお付き合いの始まりだったが、子供たちが成長した今はむしろ親同士の付き合いの方が深くなっている。子供たちの成長がそのまま付き合いの長さと深さを見せてくれている。夫妻に逢った理由は、彼らの経営する会社に高校卒業を控え中退した長男が勤めることを双方で考えてのことだった。しかし、私もその話に同席させてもらうことになったのはあとで思うと社長であるご主人の深い配慮の上だったのではないかと感じている。
 私たちが住む神戸の真ん中には「在日」の方が多い。彼ら一家もまたそうである。この一家が在日韓国人であることは付き合いが親密になった頃には知っており、何時どういう経緯でそのことを聞いたのかさえ覚えていないが、この家の長男・次男(我が家の二人の息子とそれぞれ同級生なのである)とうちの息子たちの会話を今でも覚えている。
 「僕は日本の名前がこれ(普段使っている名前)で、韓国の名前はこう書いて日本語の読み方でこんな風に読んで、韓国の読み方もあるねん。お母さんは(韓国の)苗字が違っていて、こんな名前やねん。」
 「へぇっ!!すごいなあ!ええなあ、いっぱい名前があって何かかっこええわ。」
 これは息子たちがまだ保育所に行っている時代の会話なので、語弊があったらご容赦をいただきたいと思うが、聞くとはなしに聞きながらある種の感慨を憶えたものである。私の現在住んでいる地域は子供の頃からの住居とほぼ同じ(同じ小学校の校区内と言うことでご理解いただけるだろうか?)。私や息子の通った中学校は学校関係者サイドの表現で言えば「指導困難校」と言う。その理由はここでは詳しくは触れないが、いろんな人生経験を幼少時代から持っている生徒が多い地域、ということにしておこうと思う。しかし、韓流ブームが予測さえ出来なかった時期のこと、まだ幼い子供たちに民族教育を含んだ丁寧なしつけをされていた事をいまさらのように思う。ちなみに、在日韓国人というより「韓国系日本人」と言う呼び方がしたい、と言うこのご主人の意見が私は大好きだ。
  
 この「韓国系日本人」という考え方に本当に納得できるのは、日系アメリカ人の多くは英語を話し、日本語はどうだ?と言うと多分個人差が大きいのではないかと思う。それと同様である程度の歴史的な事実や法律的根拠は知りつつ敢えて言うと、日本の地で生まれ日本人と同じ環境で生活をし、民族学校は「選択」の一つであり、ひいては韓国・朝鮮語を話せる人たちの方が少ないだろう。もしかしたら、それこそ韓流ブームの成果で私世代の女性の方が会話が出来るかもしれない、とすら思う。しかし、生活の中の風習や食べ物は私たち関西人が他の地域に行った時に食事に少々苦労を感じることもあるのと同じように、また沖縄の人が多い地域に苦瓜(ゴーヤ)が当たり前に売っているのと同じように(今でこそ簡単に手に入るが)私は思う。それでいておそらくは「半島」に由来のある人たちの中にはやはりこの国でのいくばくかの生き難さは皆無ではない(これも歴史的な背景と法律的な根拠も踏まえ、である)と言うことを私自身も子供の頃から感じてきた、と思う。話は少しそれるかもしれないが、韓流ブームがこう言ったことへどのくらいの影響力をもつのか?と息子と話すことがあるが、私や息子たちの経験から見るとその辺りに大きな影響はあまり感じない。ちなみに、離婚後親子三人で(息子の部活の日程の関係もあり)お盆の真っ只中のソウルを訪れ、日程の中に板門店の見学を入れた。訪問の最年少限度である11歳に辛うじて達していた次男はバスの中で検査の軍人に年齢を聞かれた。そして到着してすぐに誓約書を提出した、もちろん息子たちも自筆でサインをして。あの時のことを息子たちは苦笑交じりに時々こう話す。
 「あれはちょっと強烈な経験やったで。でも俺らの世代で経験している奴らは少ないよなあ、今思ったら。」
 その後知ったところによると、映画「シュリ」でのモチーフともなった「南北サッカー戦」の翌日で「非常にコンディションの良い日」ということだった、もちろん天候のことではない。私たち一家は観光会社からの連絡どおり、マナーを守っていたが(洋服など)そうでない観光客も少なくなく、途中までしか行けない人もいた。大きな観光バスに乗っているのは運転手とガイドを除くと全て日本人であった。もちろん、「在日」の方もいない。「諸般の事情」から入れないのだそうである。
 
 この旅は言わずもがなであるが深いところでこの友人一家との関わりが流れている。それ以外に私も自分の目で確かめたいと感じていることもあった。また息子たちの近い将来、関わりが必然であると思われたのでどうせ行くなら、と考えたのである。
 子供は「親」を事実レベルでは選べない。生まれる国、住む場所、名前、そして内に流れる血。セミナーやカウンセリングで言う「子供は無意識的に親を選んでいる」と言うこととは相容れないように聞こえるだろうが、たとえそうであっても子供が選ぶのは「環境」ではなく「親」である、と私は思う。結果として子供は様々な環境を手に入れることになる。これは私が息子の年頃に日々考えていたことの一つでもある。私が日々延々と考えていた理由の一つに、幼い頃に両親から聞いた話と、中学・高校(私の通っていた高校は特に韓国・朝鮮問題、中国問題、同和問題についてアツイ学校であった・・・おそらく神戸一だと思っている)で自ずと学んだ事実に大きな違いがあったことがあるのだが、今の私を成す大きな部分を占めることになっていることに後で気付くことになる。
 「差別」・・・
 一言で言うとそういう表現になるのだろうが、私が最も忌み嫌う言葉の一つでもある。血は脈々と継がれ、息子たちは離婚の際に住居をこの中学校の校区に決めた私に感謝していると言う。幼い頃から友人たちの当たり前の会話に心を動かし、ずっと気に留めていたと言うこともあるらしい。私は自分自身の経験からこの学校で「学ぶ」ことを彼らにさせたかったのだが、今の時点では彼らにはほかでは出来ない勉強になっているようである。
 話を元に戻すと、友人夫妻の会社はビルのクリーニングが主な事業である。若い頃から事業を立ち上げたことや外に見える功績は知っていたがこの日、社長であるご主人からどんな経過で今の状態にある会社なのかを聞き、その目線の新しさと先読みのすばらしさに感動して帰ってきたのだが、私と似た地域でよく似た経歴を持つご主人の考え方にはなぜか私が「我が意を得たり」と言う気分になった。息子に話している内容が、こんなだったのだ。
 うちの会社の事業内容はこんなことをこう言う地域でやっている(近畿圏のかなり広範囲にわたる)。従業員はこう言う構成である(年齢、経歴、学歴はまちまちである)。同業他社との取り組みと考えの違いはこうである(どこに初期投資をし、人件費や手間を省きながらより良い仕事をするか)。人様に喜んでいただいた上にお金までいただける仕事です。
また今後は自分としてはこう言うヴィジョンを持っており、いつかは分社をしたいとも思っている。その際には信頼できる社員を役員にと考えている。君自身がやりたいことがあったら聞かせてください。会社や仕事が合わなくて辞めるならそれでも良い。いずれにしろ、自分が本当にやりたいことがあったらいつでも相談に乗るよ。
 彼らはこの国に生まれ、韓国の血を継ぎ、この地に根を下ろしている。そう言ったこともこう言った考え方に何がしかの影響があるのだろうか。それとも公共団体で長く働いていたので私には遠いものと感じていたのだろうか。民間の企業ならどうなんだろう?外資系の会社なら?規模がそう大きくないから、ということももちろんあるだろう。でも、こう言った想いがもっと社会に一般的だったら・・・。そんなことを思いながら社長の目を見て話を聞く息子の顔を時折見ていた。普段なら「何見とんねん!」と言うところが私の視線に気づきさえしなかった。
 
 そして、翌日。学校へ行かなくなって以来少々体力の落ちていることを自認している息子だが、初日は何とか仕事がこなせたようだ。それどころか良い表情で帰ってきて、私の顔を見て一呼吸置いてこう言った。
 「疲れたっ!!」
 かと言ってぐったり寝込んだりすることもなく、むしろ余っていた体力を使えたことで気分が良かったのだろう、次男と比べ表現が控えめな長男が傍目に見ても機嫌が良く見えた。 
 
 息子が果たして仕事が続くかどうかは判らない。でも、こうも言ってもらっているのだ。
「向き不向きがあるから向かないと思ったら遠慮なく言ってほしい。こちらもそう感じたら次のことを考えるように言うよ。でも個人的な付き合いはまた別やからね。」
 息子もだが私もとても気が楽になり、私自身の公務員生活で言ってもらったことや誰かが言われていることを殆ど聞いたことがないな、とも思った。おそらく民間企業でもそうだろう、と思う。日本で生まれ育った韓国人・・・韓国系日本人を自称する彼らの発想なのかもしれないし、私たちの生まれ育った時代の賜物かもしれないが、心の中にはこう言った考え方があっても実践は難しい、と少なくとも私は思ってきた。これは私が所属していたのが公共団体だからだけではないだろう。枠組みがあって物事が進むのも事実だが枠組み自体を誰が発想し作っているのか、状況が変わった時にすばやく対応できているのか、と考えるとあまり有効な枠組みと思えないことが多い気がする。そして枠に入らないものは切っていく。全体を見たときにはとても大切なことではあるが、小さな組織であってもそう言ったことをしてしまうことが結局のところ社会全体に「ニート」「フリーター」などを増やしているのではないか、と言う気も私はする。
 自分たちの身の周りにもそういうことは頻発する。切ってしまうと管理はしやすいかもしれない。でもそれが管理主体になっており、学校であれば生徒が主体であってほしいのに教師が主役であるかのように感じることも少なくなかったことも思い出している。もちろん、何をおいても生徒が大切、と語っている教師は多い。しかし、その想いが届かないことも多いのだろう。息子たちのような「学校に行かない」生徒を無理に登校させたり退学させるのではなく、生徒の人生を包括的に考えた見守り方をする教師たちが無理なく仕事が出来る学校がもっともっと増えればいい。学校をもっと本当の適性で選べるようになったら中退もニートも少なくなるんじゃないかな、と改めて思う機会を期せずして得た気がする。。
 学歴も勉強することも、スポーツに秀でることも、美術や音楽のセンスも、愛される人格も、人付き合いのうまさも端麗な容姿も、どれもすばらしい才能だ。才能、と言うとすごく大げさに考えてしまい勝ちになる。極端なことを言えば、プロスポーツ選手だの歌手や芸人、学者や研究者・・・などには自分はなれる程の才能は無い、などと思ったりする。でも周りを良く見てみたらいろんなところにプロが居て、天才は実はどこにでも居る。もちろん誰の中にもすばらしい才能はあり、その持ち主自身が気付いて花開かせようと思うのを待っている、と私は思う。もちろん私自身も・・・である。
 息子が自分の意志で生き方(学校に行かないことを含め)を決め出した時に私に出来ることは見守ることしかもはやない、と腹をくくった時があった。そして・・・息子の人生が周りの誰とも違う人生になることを恐れていることに気付いた、「この私が・・・」である。そう、周りの人と違う生き方を選んできたこの私が。でも、そうではない、とまた思い直した。人の人生はどれも一様ではない。一人一人が自分の生き方を本当に誇れる世の中を・・・私は想う。そうなったら私の仕事はもう必要はないかもしれない。でもそうなったらまた次のことを考えたらいいさ。そんな世の中だったら、どんな私でも生き易いはずだから。
 誰かのためでもいい。でも「自分のための人生」を選ぶことがためらいなくできたら・・・そしてそのことが実は周りにとっても本当に幸せなことなんだと誰もが心から思えたら。私は今日もそんなことをぼんやりと考えて生きている。
 友人の中に流れる血と彼らが大切にしている大切にしてる地・・・自分たちが居るこの地や人との繋がりを私にも分けてもらった気がした。

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