●禁煙とセラピー(途中経過報告)

お題について。
けっしてあの有名な「禁煙セラピー」ではありません。
「禁煙とセラピー」であることをご認識くださいね。
最近。
『からだが重く感じる』
『朝起きてから、数時間はボーっとしている』
『夢見が悪い。ゆえに寝起きに機嫌が悪い。(被害者あり)』
といった事が、体を動かして物理的に活動する職業でないため、非常に気になりはじめました。
以前は体にかまうよりも目の前のことこなすのが優先・・・で後で体を壊すことがしばしばだったのですけどね。
昨今、新聞紙上やコンビニエンスストアで‘煙草の値上げ’が取り沙汰されているようですね。値上げとともに禁煙に踏み切る人がたくさん出るだろう・・・という予想もよく聞かれます。
ある一面とても頑固な私としては、世間の波にのって禁煙を考えたのではないか、と思われてしまうのはとても癪ですが(本人以外にとっては全く問題にならないことなんですけど・・・)なんせ10年以上一緒に暮らしてきたタバコを手放す決意をしました。
吸いはじめたきっかけは学生最後の試験。
‘試験’と名のつくものに関しては一気にのりきってしまえ・・・という姿勢がどうしても拭えない私。当時はまだ体力のあった20代前半、数週間程度の「半徹夜」を敢行中、もともと睡眠時間が比較的長いタイプであろう私は、たびたび襲われる睡魔と「試験に落ちる!」という恐れとの戦いに苦慮していました。
で、手にしたのが父のタバコ。タバコを吸われる方はご理解いただけるかもしれないですけど、はじめのうちは目がさめるんですよね。味をしめた私は、結局タバコを吸い始めることに。
そういった経緯で吸っていたタバコですけど、はじめのうちは顔を曇らせていた友人知人、親兄弟、その後なんらかの縁があってお付き合いしてくださった男性も含め、今から思うと途中であきらめたのでしょうかね。「やめろ」とも言わなくなりました。
もちろん「やめなくちゃ」とも「やめたほうがいい」とも思っていませんでした。
タバコ、やめれるかな・・・。
そう感じたきっかけは私にとって「タバコを吸う」という行為自体が自分自身の「父、父性を感じる」ことなんだな、と気がついてからでした。
父はヘビースモーカーです。
幼少の頃、父の枕に顔を近づけると、整髪料の匂いに押し込められたようにヤニの匂いがまじっている、それを感じたときのほっとする気持ち。
私の中でそれが「大好きな父」だと認識していることに気がついてからでした。
本当に好きだったのは、この「父の匂い」ではなくて、「父の屈託のない笑顔」だったり、「優しいエネルギー」だったりしたのですが、たっぷり過ぎる反抗期に「父なんか必要ない」と父から心理的に距離をとり、父の中に見える嫌いな部分や、痛みや苦しみばかり見てしまった結果、自分の心の中にいた「好きなほうの父」を抑圧してしまっていたようです。
それでも、幼少の頃は父が大好きで彼のひざの上や腕の中はほっとしたんだということは抗えない事実として私の古い古い記憶の底にあるのでしょうね。
「大好き」を抑圧し感じないように無意識的に振舞う分だけ、それを補完するように「ほっとさせてくれるタバコ」が私にとって不可避なものになっていったようです。
大人になり、父のことを理解し許し始め、彼に対して信頼を取り戻すことができ始めたときにふっと「タバコをやめられる自信」がついたようです。
本当に欲しかったのは、煙草の煙でなくて、父を大好きで信頼できるという気持ちだったようです。
依存しているものの害ではなく、「必要と感じているもの、与えてくれているものが何か」に気付いていくことのほうが手放しやすい・・・というのは恋愛で別れたアイテを手放ししていくのとどうやら原理的には同じようですね。(^^;)
グループセラピーの休憩時間、タバコ仲間のカウンセラーYさん。
「ねぇねぇ直美、一本持ってない?」
「えっと、実は減煙中で・・・、ね。」
禁煙してるという一言に、なぜに周囲の人々はこれほど沸くのでしょう。
もともと吸わないおともだちは、常日頃内心思うところあるのでしょうね、多くは喜んでお手伝い体制に入ります。
そして、喫煙ナカマのみなさまとの会話では、続々出てくる禁煙成功話、失敗話。
性格を見抜いてか、喫煙者同士の微妙な仲間意識から抜けていくのを寂しがってくれているのか、(会社員時代にタバコをやめる気になれなかった一つの要因に、「タバコ場にいると男扱いされやすくてうちうちの話しが聞きやすい」という思いこみがありました。
)「絶対無理!」と誘惑するおともだち。
禁煙するぞ!と決めた当時は「やってはいけない」と好きなことを敢えて自分に禁止している状態になります。
そうなると欲求としては「常にタバコ吸いたい・・・。」
さらにキビシイ欲求(というより、ほぼ喫煙衝動)「たばこ吸いたい〜〜〜〜!」。
何かに集中できている時間を除き、一秒一秒が「タバコを吸うか」「別のことをするのか」選択の連続になりました。
無意識の習慣を変更させるときには、欲求を気持ちの上で認めてあげたうえでおきかえて自分に与えてあげることが必要なことを痛感した数日間でした。
はじめのうちは私の中の駄々っ子がごねていて「別のもので満足させられるのは悔しい!」というのもありましたが・・・。(私の中のインナーチャイルド(内なる子供)は相当わがままです。

習慣を変えるって大変ですね。
今回のことで感謝すべきはお友達。
厳しすぎもなく、甘すぎもなく、だけどそばにいてくれる人というのは非常にありがたいですね。
私がタバコを吸いたくなるシチュエーションとして一つの大きな山場であった「お酒飲みながらの喫煙」。
タバコは大好きなお父さんの象徴。
お酒は大嫌いなお父さんの象徴。
どちらにしても「父を感じる」アイテムだったわけですが、お酒を飲んでいる最中にタバコを吸わないということは、自分が潜在的に感じる父への嫌悪感や罪悪感が前面に出てくることになります。
これを一人で感じるのは少し、辛かったようでおともだちが付き合ってくれたことが大きな助けになりました。
誰かに、自分が潜在的に感じていて、隠しながらも持ちつづけていた嫌な感情も口に出して表現してしまえば軽減するので、お父さんの象徴としてのタバコやお酒でなく、ただの嗜好品としてのお酒やタバコとして捉える事ができるようになるようです。
おともだちのおかげさまで、この山場なんとかクリア。
その後タバコを手放すことを選んでから数週間。
まずはたばこを吸いたいというシチュエーション探し、と感じた時に、違う選択をすることに慣れる期間だったようです。
さてさて、次は長期にわたって吸わない時間を作る・・・(人気カウンセラーNさん曰く「体だるくて動かなく期間がほんっとに辛いよ〜」とのことです。
)に挑戦デス。
最近の発見は、どうやらそれでもタバコをどうしても選んでしまう時、、、というのはグループセラピーやカウンセリングでも自分の中の「自己嫌悪」に出会った時。
次に皆さんに「禁煙できました!」とご報告するのは、「自己嫌悪」にもう少し向き合って自分をもう少し好きになれたときかもしれません。
禁煙しつつ、自分を癒す・・・こうやってみるとなかなか楽しい体験かもしれません。
(被害者いえいえ、ご協力者の皆様ありがとうございます・・・)
またご報告しますね。

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