東京感謝祭も終わった所で、今回の講演でもお話した「幸せなパートナーシップ」について、もっともっとお話してみようと思います。
当時、私は長続きしない恋愛の数々、失恋の連続、仕事にも燃えつきかけ、人間関係も表面上のお付き合いの寂しさを感じ、健康も崩していました。
口癖は、「何か良い事ないかな?」の連続。
人生のにおいて八方ふさがりで、出口を求めてるけど、どの方面からも出られず、そんな自分自身の内面を話せる人もいないし、もしかすると、自分自身が自分を一番わからないぐらい、見失っていた時期だったのかもしれません。
そんな私が雑誌で見つけた無料カウンセリングの案内に目がとまり、それはそれは勇気を振り絞って電話をしたあの日。今でも覚えています。
初めて面談形式のカウンセリングに行った日も、昨日の事のようです。
あれから、私の人生は大きく変わりました。
と、今では言えると思います。
数年先、数十年先の未来に行ってこそ、過去が見えるんだなーって思うからです。
カウンセリングを受けた次の日、振られた彼から一枚の葉書が届いていました。
「また前のように普通に会えるようになるといいんだけど」と書かれていました。
今なら、カウンセリングの効果のすごさを受け取れた事や、それを与えてくれたカウンセラーの先生に感謝してやまないはずなのに、その時の私は、何が起きているのか受け止めきれず、その葉書を無視してしまった失敗も忘れない事の一つです。
でも、その時の私は、「普通に会うってどういう事?」と悩み、それを先生にもすぐに相談できるほどの勇気も持てずにいました。
それから約10ヶ月、今度は、燃え尽き健康にも不影響を与えていた仕事を手放しました。
私が当時していた仕事は集中治療室の看護師。
助ける人が、ハードワークの結果、一番助けを必要とする人になっていました。
先ずは、私自身が心と体の健康を取り戻す事、それが私の課題でした。
そうする事が、やがて人を助ける道に戻ることになると、先生は教えてくれました。
仕事を手放して、生活はどうなるのか?
その後、仕事は出来るのか?
数々の不安は山盛りありました。
やめる事をやめようと、何度も何度も先生のカウンセリングを受けました。
カウンセリングを受ければ受けるほど、心は癒されるので、やっていける気になってしまうのです。
でも、忙しい職場に適応できるだけの回復は、もはや難しい状態でした。
ある日、先生が、「気持ちはわかるけど、今やめないと死ぬぞ。」と、言ってくれ決心がつきました。
私は今、カウンセラーをしているので、このように人の人生に大きく影響を及ぼす言葉を発する事がどれだけ大変な事か知ったので、今では先生が命の恩人のように感じています。
これからも私の心のメンターであってもらいたいと思っているし、いつでも相談できる先生がいてくれる事が、私のお守りのようにもなっているのかもしれません。
そして、責任問題をすぐに考えてしまう私は、まだまだ未熟だなーって自分をごまかしたくなります。
だから、それほどまでに強い絆を作れるカウンセラーの師として、私の追い続ける大きな目標です。
仕事も手放した私、何にも考えず寝て休養をとるだけの日々が始まりました。
でも不思議な事に、退職したすぐ後に、またもや彼から葉書が届きました。
10ヶ月癒した私は、今度は無視することなく、起こっている事を把握し、その対応を相談できる先生もいる心強さを持ち、次に進む準備が出来ていたようで、今度は電話がかかってくるようになったのでした・・・
手放して手放しって本当にすごいの巻きでした。