今日、仕事の昼休みに入ったファミレスでこんな光景を見ました。
レジに近い通路横が私の席だったのですが、お母さんと2歳と4歳くらいの兄弟
がレジに向かっていて、先に子供が歩いていて急に立ち止まった弟くんに気付
かずお兄ちゃんがぶつかって2人で倒れてしまったんです。
お兄ちゃんは何が起きたか分からずにそのまま弟くんにのっかったままになっ
てしまいました。
するとその光景をみたお母さんがすかさず「ほら!いつまでも乗り掛かってる
んじゃないの!のいてあげなさい」と言い、お兄ちゃんは我にかえります。
まぁ、ここまでは良くある光景ですよね。
そしてその後の展開も、みなさん大体想像付くと思います。
その想像通り、お兄ちゃんがのくと弟くんの顔はみるみるうちに泣き出しそう
な顔になります。
きっと重かったのでしょう。もしかするとお兄ちゃんだけで
なく、弟くん自身も何が起きたのか分からなくてびっくりしたのかもしれませ
ん。
すると弟くんの泣き出しそうな顔をみたお母さんが今度はすかさずこう言いま
した。
「あんたもこんな事でいちいち泣かなくていいの!」
その一言で今にも涙が出そうな弟くんの顔がすっと元に戻り、何事も無かった
かのようにすたすたと歩いていきました。
その光景をみて「…面白い」と思ったんです。
大人になるとあまりありませんが、子供の頃の私たちには意外とこういうこと
ってよくあるんですよね。
♪痛いの痛いの飛んでいけ〜!♪のおまじないが効果大だったり、逆に「痛か
ったね〜」と声をかけられると実はそんなに大きな傷ではないのに、急に物凄
く痛く感じられたり・・・。
アルプスの少女ハイジのクララが足の怪我が治っているにも関わらず歩けなか
ったり、というのもそうかもしれません(笑)
実は私達は”暗示にかかりやすい生き物”だと言えるのかも知れませんね。
カウンセリングでお話しを聞かせて頂いていると、あまりにも自分を責めてい
る人や、自分をバイ菌のように扱う人、自分には幸せになる権利がないと感じ
ている人に出会う事があります。
そしてそれを繰り返し繰り返し、自分の心の中に浮かべている中で「私は、そ
うなんだ!」という思いが強くなってしまっている部分があるようです。
もちろん、その人がそう思ってしまうのにはその人なりの辛い出来事があった
り、そう信じる理由があるように感じられるのでしょう。
しかし私から見れば、その全ての人に才能が溢れ、笑顔が似合い、幸せになる
に相応しい人なのですが、当の本人達には自分のその価値に気づいていません
。
ジェラルド・G・ジャンポルスキー著の「ゆるすということ」の中にこんな一
文があります。
『副作用がある薬を、あえて使う人はいないだろう。
しかし、たいていの場合、
私たちは心に浮かべる思いを吟味しないし、
思いが肉体を毒しかねないことに気づかない。』
私達は心に思い浮かべる内容を自分自分で選ぶことができます。
その思い浮かべることの中には、自分自身へのイメージや、自分の本質的な部
分に関しても含まれます。
もし、私達が本当に暗示にかかりやすいのだとしたら?
あなたは今、自分を自由にする暗示を唱えていますか?
それとも自分を縛る暗示を唱えていますか?
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