久しぶりの一人暮らしを始めてもう、半年以上経ちま
した。一人でいる時の部屋は空気がさほど動かず、そ
の静かさはいろいろな思いを感じさせます。
あまり寂しさを感じない僕でも、気が付くとテレビを
つける習慣ができていました。
かつてはほとんど見て
いなかったのですけれど。
テレビは見るためにつけているわけではないので、映
されている番組はさまざま。バラエティは多いけれど
も、ニュースやワイドショーなどが流れていることも
もちろんあるのです。
そういえば一人暮らしを始めたあたりの時期、日本は
首相が代わった時期ともほぼ重なっていました。
僕は政治のことを何ら知りませんが、テレビを通して
コメントを耳にした時、なんだか歯切れが悪いなぁ、
と常々感じていたような気がします。
でも最近は、強気なコメントをしているなぁ、と思い
ます。
正しさや意図はわからないけれど、強い意思が
宿っているような気がするのです。
と思っていると、たまたまつけていたワイドショーで
も同じようなことを言っていて、さらに調べて追求し
ていました。
人の上に立つと、いろいろされて大変で
すね・・・。
そのワイドショーで言うには、最近前の首相に会い、
「何をしてもいろいろ言われるんだから、鈍感力を持
て!」
と言われたからだろう、と分析していたんです。
ど、鈍感力!?
面白い言葉だなー、と思い、数日頭の中に残っていま
した。そしてふと、思い出した昔のこと。
「お父さんがね、『あいつはガラス細工のようだな』
って言ってたよ。」
母の言葉です。
ほんのちょっとでも強い圧力をかけると壊れてしまう
儚さ、脆さを表現しているのは容易に想像できます。
20代前半の頃は特に、知らなくてもいいことまで気づ
いてしまう感受性の鋭さ、打たれ弱さがある自分をと
ても嫌悪していました。
わかってるけどさ、じゃあどうやったら打たれ強くな
るわけ!?
これは僕の、20代における絶対的なテーマでした。
その結果、今では思い出すのも恥ずかしいのですが、
うじうじしていたあの頃を通して出た僕なりの結論、
それは、
「結局打たれるしかない」
「逆にこの感受性を活用する」
この2つだけだったんです。
単純ですね・・・。
カウンセラーになることを決めた後、自らの未熟さは
打たれる状況を何度も呼び寄せたりもしました。
へっ
たくそな生き方だけれども、今は積み重ねてきた歴史
に意味を感じられます。
その時の辛さは、何もしなかった時の自己嫌悪に比べ
ると、はるかに意味のあるものだったから。
強い意思を見せることは勇気の要ることです。
言葉を
言い切ると、そこに批判がやってくる余地が生まれま
す。でも曖昧にすると何かが迷いますよね。
自分の望む物事を何かしらの形にし、それらに反発す
るものを深く感じないこと。
確かに鈍感さも、一つの力となるかもしれません。
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