「そうだ、生きるよろこびを感じることなんだ」
その言葉に、隣にいる1歳半の娘が不思議そうな顔をして、僕を見た。
リビングでは「アンパンマンのマーチ」が流れている。
先日の休日でアンパンマンミュージーアムに行って以来、娘の大のお気に入りの
曲だ。
この曲を聴きながら、僕は休日での出来事を思い出しながら、強くそう思った。
休日には、東京に滞在していた。
日中、妻が用事があるため、僕は娘といろんなところに遊びに行った。
その日は、上野動物園に行ったあと、僕自身がどうしても行きたかった
展覧会に娘を連れて行く事にした。
それは、画家のモディリアーニと妻ジャンヌの悲劇を二人が描いた絵と
ともに紹介する展覧会だった。
モディリアーニはようやく絵が認められはじめた時に、若くして
病に倒れ、帰らぬ人となってしまうが、
妻のジャンヌはその48時間後に自ら命を投げ出してしまう。
そのジャンヌが、亡くなる直前に描いた、悲しいまでの数枚の絵。
この展覧会の話を知った時、なぜか僕はジャンヌの最後の絵が
どうしても見たくなり、迷ったあげく、この日足を運ぶことになったのだ。
娘は幸いなことに、会場に入っても、ごにょごにょ囁いてくるだけで、
静かにしていてくれた。
僕は足早に、二人の生い立ち、出会いから順に並べられた絵と解説を
見て回り、ついに、そのジャンヌが描いた最後の絵までたどり着いた。
しかし、よく見る間もなく、そこで娘が大声を出して泣き出したのである。
ああ、飽きちゃったんだな、と思い、一端、出口付近まででて、
娘をなだめ、ご機嫌になったところで、もう一度、展示室まで戻った。
でも、やっぱり最後の絵の前までくると、娘は大泣きするのである。
3回繰り返したが、同じなので、僕は、絵を見るのをあきらめて
外へでた。
こんなに惹かれてきたのに、わざわざ何のためにここまできたのだろうと
がっくりと肩を落として会場を後にした。
東京から帰ってきて、我が家に帰り、娘と遊んでいる今、ふと、その時の
ことが思い出されてきたのだ。
娘のリクエストで「アンパンマンのマーチ」をかけながら、思いは続いた。
そういえば、あの日は、もうひとつ心に残る出来事があったのだ。
展覧会に行く前、上野動物園を出た後、有名な西郷隆盛像の前を通りかかった折
に、
突然、おじいさんが、「娘さんを抱いて、そこに立ちなさい」と声をかけてきた
のだ。
どうやら、手に持ったポラロイドカメラで僕たちを撮影してくれるらしい。
最初、僕は、それを売りつけるつもりではないかと疑った。
しかし、娘が、妙に乗り気だったので、それならそれでいいや、と写真を取って
もらったのだ。
すると、おじいさんは、ニコニコしながら写真を渡してくれ
「僕はもう82歳になるけど、ここで、幸せな家族の写真を撮るのが
趣味なんだよ」といった。
その純粋な気持ちに感激するとともに、おじいさんを疑った自分をとても
恥ずかしく思った。娘に、おじいさんにバイバイをしてもらい、その場を
後にしたのだった。
その写真は、とてもよく撮れていた。まるでおじいさんの心を現すかのように。
それを思い出した時、僕の心で3つのピースが組み合わさった。
モディリアーニの後を追って命を絶ったジャンヌが後世に伝えた最後の絵
年老いても、他の人々の幸せを喜べる人生を生きるおじいさんの写真
そして、アンパンマンのマーチの歌詞
「アンパンマンのマーチ」は、作者でもある、やなせたかしさんの詩で、
こう歌っていた
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
展覧会を後にする時、出口にモディリアーニとジャンヌのお墓の写真が
飾られていた。
僕は、せめてこの写真に敬意を祓いたいと、娘と一緒に手を合わせたのだ。
娘は祖母の影響で、仏壇で手を合わせて拝むことができるようになっていた。
その時、同じように手を合わせて、娘は頭を下げた。
僕はそのために展覧会に行ったのではないか。絵を見るためではなく、そのため
に。
「そうだ、生きるよろこびを感じることなんだ」
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