以前に僕のブログでも紹介した、「夕凪の街 桜の国」が映画化され、公開されました(2007年7月28日)。
これは、広島に原爆が投下されて13年後の物語「夕凪の街」と、その子孫である現代を生きている人達の物語「桜の国」という二つの時代が織りなすお話です。
このお話についての思いをどうしても書きたいと思っていましたが、戦争を全く知らない僕が、安易に自分の思いを書いていいのかずっと迷っていました。
けれど、映画になったこの作品を観て、「今、この時代を生きている、そしてカウンセラーをしている、僕でなければ書けないことがある」と自らを奮い立たせて書く事にしました。
思いが先走るあまり、言葉足らずで、不適切な表現になっている部分があるかもしれませんが、その際には、どうか、ご容赦くださいますようお願いいたします。
僕は、自分がカウンセラーの勉強をしていく中で、自分が「幸せになってはいけない」と思ってしまうために、様々な問題を自ら起こしてしまうことに気がつきました。
そして、その原因は、同じ思いを自分の両親と祖母が感じていて、それを子どもながらに敏感に感じて、自分もそうあらねばならないと思ってしまったからであること。
その後、機会があって、実は、それが曾祖父毋の時代から続いているものだという事実を知り、まさに代々引き継がれた「悲しみの連鎖」であることを発見しました。
当時の僕は「悲しみの連鎖を僕が断ち切る役なのだ」と思ったのですが、実はそうではありませんでした。
見るべきは、「過去の悲しみ」ではなく、「今を生きる自分が幸せになることが、辛い過去を生きた自分自身や家族を幸せにすることなのだ」ということだと気づいたのです。
それから、僕の問題は、次々と解決していったのです。
「夕凪の街 桜の国」は、前半の「夕凪の街」で、原爆からようやく立ち直り始めた広島に生きる主人公の皆美(みなみ)の物語を語ります。
皆美は日々を懸命に生きていますが、自分が美しいものを見たり、幸せだと感じる度に、原爆投下時に死んでいった人々の声が聴こえる気がして、それを感じることを拒んでしまいます。
「自分が幸せになってしまったら、死んでいったみんなに申し訳ない。」それどころか、「自分は生きていていいのか」と。
後半の「桜の国」では、あれから60年余たった現代に生きる、皆美の子孫である七波(ななみ)が主人公となり、最近、振る舞いのおかしい父を追いかけて広島に行く話が展開されます。
そこで、七波は、自分が被爆二世の子であることを再認識するとともに、その過去を認め、今、そして未来を生きて幸せになることが大切であると気づくのです。
このお話が素晴らしいのは、原爆という、とてつもなく大きな悲しみの過去でさえも、「今を生きる自分が幸せになることが、辛い過去を生きた祖先や家族や自分自身を幸せにすることなのだ」と語っているからだと僕は思うのです。
もし、そうだとしたら。
今、この社会では、世界中に、悲しみを抱えて苦しんでいる人がたくさんいます。
僕がカウンセラーとしてお話を伺う方の数は、ほんのわずかですが、それでも、強く感じる事です。
けれど、その悲しみを解決するのは、他ならぬ、この物語が語っている「今を生きる自分が幸せになることが、辛い過去を生きた祖先や家族や自分自身を幸せにすること」なのではないでしょうか。
それは、僕自身が実体験で感じたことだけでなく、この物語が証明しているのだと思うのです。
原爆や戦争の悲しみでさえ、そうであるのならば。
映画「夕凪の街 桜の国」のホームページを開くと一番最初に次の言葉が出てきます。
「生きとってくれて ありがとう」
僕は何のために生まれてきたのでしょう。
そして、あなたは何のために生まれてきたのでしょうか。
必ず意味があるはずなのです。
今、この現代に、そして、自分のおかれた環境に生まれてきた意味が。
それを選んで生まれてきたのは、他ならぬ自分自身だと、
だからこそ、どんなことがあっても前を向いて生きていこう、この物語はそう語っていると思います。
そして、平和というのは、誰もがもともと生まれながらにして心に持っているものなのです。
それにみんなが気づくことが平和を作り出す源になるのではないかと思うのです。
僕たちが実現して、子孫に伝えていくことが、大切なのだと思うのです。
このコラムは8月7日にアップされます。
8月6日でなく、その翌日であることに意味があると感じています。
この偶然を、偶然のまま終わらせたくない。その思いでこのコラムを書きました。
今までに亡くなったすべての方と
そして、その命を継承した、今、僕と同じ時代を生きているすべての人へ
心からの感謝をこめて
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