僕の実家は料理屋なのだが、小さい頃には、まだ芸者さんがたくさんいる時代で、夜には、宴会によばれた芸者さん達がやってきていた。
芸者さんを座敷によぶ料金のことを「花代」と言っていた。文字通り、華やかなお座敷を想像できる名前だが、芸者さんたちは、お座敷以外でも、時には艶やかに、時には気っ風よく、その振る舞いは子ども心に、かっこよく映ったものだった。
けれども、実際の芸者さんは華やかさだけではなく、様々な悲哀をあわせもつ仕事だった。
そんな女性達の生き方を肌で感じながら、僕は大きくなっていった。
この料理屋は、僕の祖母が女手一つで築きあげたもので、祖母は、店を持つまでには、本当に苦労を重ねて成功した人だったから、たくましさ、力強さ、厳しさを持った女性だった。また、店を手伝う親戚の女性達も、我が家の血をひいてか、元気のよい女性が多かった。
若女将とよばれた僕の母は、繊細で気配りタイプだが、時に、周りを引き込むほどの明るさを発揮する女性だった。
板前の父が後ろで支え、店はまさに、女性達がまわしており、こうした女性達に囲まれた僕にとっては、女性が社会の中心であると思って育った。
けれども、華やかに見える料理屋には、様々な苦労があり、創始者の祖母はもちろん、母も、店での元気さと対照的に、嫁ぎ先である我が家の嫁として大変な苦労をしていた。父は、そうした中を静かに守る立場を取らざるを得なかった。
一方、我が家は、日本ではとてもオーソドックスな仏教の家で、僕は祖母から、それをベースに様々なことを教わったのだが、特に言われたのは、「人はみんな平等である」というものだったと思う。祖母自身が我が家の中で平等を実践できていたかといえば、それは教えと矛盾したことも多かったけれど、祖母はそれを公私ともに宣言し、できうる範囲で実践しようと務めていた。それは、僕に大きな影響を与えた。
今の社会は、女性が不利益を受けているという側面は間違いなくあるし、それはそのままにしておくには大きすぎるものだけど、それだけでなく、男が男である故に受けている不利益だってある。
僕は、そんな生い立ちもあって、男女に「優劣はない」し「対等である」という思いに至ったけれど、それでも男として生きてきたことで、知らず知らずのうちに身についた、根強いものはかなりある。
それは、カウンセリングの中でいろいろなご相談を受けさせていただくようになり、その問題には、男女が対等でないことから起こることがたくさんあると感じるようになって、実感したことでもあった。
生まれながらにして、人は男と女に分かれている。話は、そんなに単純なものではない。
それを解決していく道のりは困難かもしれないけれど、まずは、男と女に「優劣はないこと」、そしてひいては、「人はみんな対等であること」を「思う」ことが大切なのだと、今、痛切に感じる。
このコラムのタイトル「月と太陽、どっちがきれい?」というのは、月と太陽に男性と女性をたとえてつけたもので、その答えは、「どちらもきれい」のつもりだったけど、そもそも、月と太陽に分けて考えること自体、しなくていいことなのかもしれない。地球や宇宙は、すべて美しいものなのだから。
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