●恋が苦手な私の内緒話

こんにちは。
一生の中で、人はいったい何人の人と出会い、何を共有できるのでしょうね。
私たちの人生に偶然はなく、すべては必然である・・・そんな言葉を聞いたとき20代の頃の私にはまだまだ反発がたくさんありました。
たくさんの出ていない、答えがあったのでしょうね。
「クラスの中で好きな男の子ってどの子?」
きゃっきゃっ、と友達同士の会話に中にこういう内容が出始める小学生の高学年当時。
異性に興味が出る年頃、
「お付き合い」するってなにか意味があるんだろうか・・・?
こころから疑問に感じていた私は、異常に晩生だったのかそれとも、とてもよい見方をすれば哲学的なこどもだったのか、それともただひねくれていたのか。
単純にみると、ひねていたのかなぁと思うのですけど、皆さまのこども時代っていかがだったのでしょう?
この時代から恋のお話は苦手。
でも、なぜかお友だちの恋の相談相手。
自分の中の折り合いのつかなさに、不自然な感覚をいつも感じていたように思います。
安心感を感じるような男の子やら、身近に感じる男の子たちに微妙に嬉しさや気恥ずかしさを感じながらも女の子の友だちとあまり違いを見出せずに過ごした高校生時代。
こういうキャラのまま進んでしまった女子大では、女性ばかりの不自然な環境に初めは戸惑って気持ち悪くてしょうがなかったけれど、あまりの居心地の良さに徐々に安穏と暮らし始めてしまい。
世間はバブル全盛期。
中高大一貫教育でもあった、その大学で、いわゆる‘中からあがってきた’女子高出身の女の子たちの『今日は合コンなの!!』という日の気合の入りっぷりに違和感と興味深さを感じつつ、行ってらっしゃい(^^)と見送ることのほうがずっと気楽で。
こんな私でもちゃんとこいごころはあったようで、時々は少し‘いい感じだな’とやっぱり安心感をくれるような男友達に彼女が出来たと聞いてはちょっとだけ泣いてみたりはしていました。
社会人になって、しかも環境がいっぺんして一日に出会う人のほとんどが男性(!)。
慣れない環境に突入して一番びっくりしたことは、世間さまでは恋愛感情というものが随分と色んなところに影響力を持っているということ。
当時の私は、色んな面で白は白、黒は黒と決めたかったのでしょうね、この人は同僚だから、この人は上司だから、この人は先輩だから、この人は取引先だから、と自分の感情も相手の感情も無視するのが一番楽で、立場でこころの距離を無理にはかろうとしていたように思います。
それでも、寂しさというのは人と人を繋ぐ接着剤になるようです。
当時、生まれた町を離れて営業という仕事についていた私。
そして、郷里にはこころの調子のあまりよくない親、姉妹を感じながら。
目の前にあるのは競合他社との過当な競争と、そしてまた、それでも毎日営業先で顔を合わせるという情と、会社という組織の中で全員がうまくいくことを願ってくれていた先生たちに囲まれた学生時代には、対峙する事があまりなかった、仲間内での競争や嫉妬とやっぱり情と。
同じ環境で働く女性はほとんど存在せず、男性社会のルールに日々分からないことだらけで。
胸のうちは随分と孤独だったのでしょう。
入社前に人事の担当者に言われた言葉がありました。
「本当に孤独な仕事だよ、大丈夫?」
それは今になって思えば、彼なりの仕事に対する感覚でそれだけでもないだろう、とは思うのですが、ベースに競争がある社会というのは人を孤独に追いやっていくものだなと、今になるとしみじみ思います。
その中で私が求めたものは、相手が誰であったとしても‘父性’だったように思います。
同様の孤独を感じていた同僚たちは以外と多かったようで、夜中までただ時間を共にいるために遊びにいったり、電話で話をしたり。
いま、この当時の私を振り返ると、幼少の頃の思いからいつしか自分自身の中で、‘男性から欲しいもの’というものがたったひとりから受け取れるものでないという考えがしっかりと根付いてしっていて、自分の中の女性性、女性像というものも、それを投射する男性性、男性像というものもどうやらバラバラに砕かれてしまっていたようです。
そして、実は、一度は自分のこころの中から完全に追放してしまった‘完全な父の愛’というものを捜し求めていたようです。
内的に本来はあったであろう、父親の愛を思春期以降の色んな裏切られた(それが本当の裏切りでなかったとしても、力強い大好きなパパはいつしか必ず一度は‘期待はずれ’になりますものね)痛みから、それを誰かから貰おうとしてもそれはやはり切ない結果が待ち受けていて。
その時々に、私に対して心から叱ってくれたり、どうせ私なんか幸せになれないのよって呟いたときに本気で怒って席をたったり、向き合ってくれた人は居て。
付き合って別れた後も、心配だという理由とそして彼の中の切れない情があったのでしょうね、何年も精神的な面で繋がり続けようとしてくれた人も居て。
どうやら若かった頃の私にとっては、嬉しさや楽しさというよりも、叱ってくれたり怒ってくれたり激情的な側面がないことには自分が大切にされている感を感じれなかったようです。
何年間も、恋というもので自分が幸せになれない自分自身の問題が‘愛されない’事だろうというのは思い込みであって真実ではなかったようです。
振り返れば、そこここに、恋愛であろうとなかろうと、理解しようとしてくれた人はたくさん居たように思います。
腑に落ちると全く不思議でもなんでもないのですが、私たちの愛を受け取る、感じるレセプターは実は私たちが私たち自身を認めている、愛してる部分にしか開かれていません。
一番の痛みは愛し続けるときに、どこかで逃げてしまっていたところにあったという事に気づくにはたくさんの出会いが必要だったようです。
自分自身がもう無理、扱えないと思って、悲劇に入り込んでいた家族の問題に取り組むつもりでしっかりと腹を括って、絶対に受け入れてもらえるはずがないと思いながらも傷つくのを覚悟で打ち明けたときにただ黙って受け入れてくれた人がいました。
多分、そのことは大きく私の人生を変えました。
それは相手の愛情も確かにありましたが、自分自身の信頼するという勇気と、またそれを後ろから見守ってくれた友達には大きな感謝があります。
自分にとって一番嫌っている、一番誰にも見せられないと思っている部分を、曝けだすほどの信頼を誰かに向けることが出来たときに‘一人ぼっちの世界’の扉が薄く薄く開かれました。
何度も同じ間違いを繰り返し続けたように感じて、こころを閉ざして、信じられるのは私しか居ないと思っていた何年間も今となっては私を強くしてくれた大切な時間でしかないのかもしれないと感じます。
パートナーシップがなければ、幸せでないわけでもない。
ひとりが悪いわけでもない。
恋がすべて、特別、とも、やっぱり思えない。
でも。
私の価値、を改めて感じさせてくれたり、理解者でいてくれたり、そして自分が誰かのそんな存在であることで、自分を認めることが出来たり。
バラバラになってしまった私のハートを、ひとつひとつ拾い上げ、愛し理解することで、もしかすると地球上の孤独なもうひとりが救われるのだとすればやっぱり恋はちょっとした奇跡かもしれませんね。
ひとりの人生でのその人ごとの独自の時間軸と、そして全く違う誰かの時間軸が偶然なのか必然なのか交わるときに、‘美しい織物のように’今度はまた‘一緒に’新しい時間を紡いでいくことが出来ればそれは素晴らしいことですね。

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