●この季節に思うこと−あなたは愛されています

毎年、この時期になると必ず読む本があります。
それは私の大好きな本「クリスマス・ボックス」です。
この本を買ったのは、もう10年以上前のことです。
銀座の大きな書店で
クリスマス・シーズンに向けて、目立つ場所にドドーンと山済積みにされていました。
ベージュの縁取りとラズベリー色の表紙、そしてツヤ消しの落ち着いた金色のタイトル文字。とても上品な装丁に、思わずページをパラパラとめくってみました。
どうもフワフワ
したクリスマスのおとぎばなし、という感じではなさそうです。
厚さも大したことは無く
読みやすそうだな、と軽い気持で買いました。
そうして、家に帰って読んでみると・・・
泣きました。
涙が後から後から溢れて止まりませんでした。
何だか、自分が生きていることを肯定されたような気がしたからです。
あらすじを簡単に述べますと、若い父親であり、駆け出しの自営業者である「わたし」とその妻、幼い娘の3人が、街の大きな館に1人で住む老婦人のもとへ引っ越してきます。
表向きは老婦人の身の回りの世話をする為に雇われたのですが、実際のところ彼女は“家族”が欲しくて彼らを雇ったようです。
そしてこの上品で優しい老婦人には秘密がありました。
この秘密が解き明かさると共に、「わたし」は人生で大切なもの、危うく自分が失い
かけていた“宝物”に気づくのです。
この物語のテーマは“愛”です。
やさしく深い親の愛 ― 神の愛というものだと思います。
例えばこの物語の中で、老婦人が「わたし」にする質問 − この世で最初のクリスマスの
贈り物は何だと思う?− この質問の答えこそ、この物語を貫くテーマです。
そして、その深い愛に触れた時、私は涙が止まりませんでした。
当時の私は幼い頃から、自分はこの世に生きていてよいのだろうか? そんな思いがとても強かったのです。
家族はバラバラでしたし(父は今も行方不明です)、その家族に背を
向けて生きていましたから。家族が大嫌いだったのです。
しかし、それだけに孤独感や罪悪感が強く、自分を肯定できないでいました。
私は何の為に生まれてきたのだろうか?
生きていていいのだろうか?
そんな思いを心の底に押し込めながら、表面上は明るく振る舞っていました。
しかし、この物語を読んだ時、この本に貫かれている“思い“が私の心の中に浸透していき、奥底に隠していたものに優しく触れたのです。
泣きながら、心の中でこんな質問を繰り返していました。
こんな私でも神様は許してくれるのだろうか?私の人生は受け入れてもらえるのだろうか?
答えは“Yes“ですよね。だって神様は子供達(我々)を愛してくれているのですもの。
この時から、カチカチに固まっていた心が、ほんの少し緩んだようなきがします(もっと緩むまでには、この後もかなり長い時間を要してしまいましたが! 笑)
もしもあなたが愛されていなかったら、この世に生まれていなかったのではないでしょうか。精子と卵子のレベルでいえば、あなたには他に何億というライバルがいたのです。
しかも3日以内に受精できなければ、ライバル共々全滅です。
そうなれば当然ですが、あなたはこの世にいません。しかしこの天文学的な条件下で、あなたはこの世に生を受けたのです。
これが奇跡でなければ何なのでしょう!あなたがこの世に生まれ出たのは、当然の
ことではないのです。
このことを、どうか意識してくださいね。
そう、まさにあなたは愛されている。だから奇跡的にこの世に生まれることが出来たのです!
では、愛とは何でしょう?人それぞれの解釈があると思いますが、私は次のように思っています。
無機質なものでも、植物でも、動物でも何でもよいのだけれど、その対象となるもの全てを“生かそう”とする意志 − この世にあまねく存在する大きなエネルギー。
そして、その意志によって生かされている私達1人1人の中にある、相手を“生かそう”
とする思いや行為。それが愛ではないかと。
私が毎年この季節になると「クリスマス・ボックス」を開くのも、このことを思い出す為なのかもしれません。でも、それを思い出すのに、本当は季節は関係ありませんよね。だからこのコラムがクリスマスを過ぎても掲載されるのは知っていますが、書かせていただきました。
もしも今、一人ぽっちで淋しい人、自分を受け入れられない人がたら、どうぞこのことを思い出してください。あなたは愛されています。
だから生かされているのです。
みなさまが、良きクリスマスを過ごせますように。
そして幸多き新年を迎えられますように、心からお祈りいたします。
ありがとうございました。
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