今回のコラムは、2007年10月15日掲載「怪獣庭園の思い出〜聖なる森へ〜」の続編にあたるものです。
あわせて、過去のコラムをご覧いただければ幸いです。
「聖なる森」と呼ばれた不思議な庭園は、ローマ郊外のボマルツォという片田舎にあった。
そこに行くまでの道のりも、ローマから鉄道でヴィテルボという町まで行き、さらに今度はローカルなバスに乗り換えての旅で、停車駅も、バスの運転手さんに、ここについたら教えてくれ、といって辿り着いたところだったので、何が心配かって、元のようにローマに戻れるかということが最大の不安だった。
「聖なる森」を満喫した僕は、すっかり時間のことを忘れていたので、辺りはもう夕暮れになっていたのである。
しかも、帰りのバスの時間がわからない。
これは困ったなあと思っていると、バス停のすぐ近くに、小さな小さな簡単な雑貨類を売っているお店を発見した。
そこで水を求める傍ら、バスの発車時刻をたずねることにしたのだった。
声を出すと出てきたのは、優しそうなおばあさんだった。
いかにも田舎の親切そうなおばあさんだったので、この人なら、いろいろと教えてくれるに違いない、そう安心したのだった。
ところが。
ここは、イタリアである(当たり前)
そして、ローマではない(当たり前)
しかも、とっても田舎町である(当たり前のことにやっと気づいた)
そう、英語が全く通じないのである。
もちろん、僕はイタリア語など、全く話せない。
しかし、僕はどうしてもバスに乗らなければならなかったのだ。
それからは、おばあさんと僕との「ジェスチャー大会」になったのは言うまでもない。
特にヨーロッパの場合、海外旅行者というのは、片言の英語ができれば何とかなると高をくくっているところがあると僕はこの時痛感した。
イタリア語と英語は、これほど違うのか、と知ることになったのだが、どんな言葉を発しても、全く通じない。
おばあさんは本当に親切な方で、自分だけでは力不足と奥にいた、おじいさんまで呼んで来てくれた。
その結果は。
そう、三人での「大ジェスチャー大会」である。
何問くらいジェスチャーのやり取りをしただろう、ジェスチャーのクイズ番組があったら、その放送時間分はやったと思う、そんな頃。
僕の「バスに乗りたいのです」という熱意が通じたのか
おばあさんとおじいさんの「この路頭に迷う若者をなんとかしたい」という熱意が通じたのか
二人の顔が「はっ!」と豹変した。
まさに、人と人の心が通じた瞬間だった。
と同時に、二人は、あるジェスチャーを一緒になって懸命にやり始めたのである。
それは、両手を前に出し、ちょうど水泳のクロールのバタ足のように上下に交互に動かす仕草だった。
通じた!と思った矢先のそのジェスチャーを、僕は必死に理解しようと、一緒になって、同じ動作を真似した。
三人で、真剣に見つめ合いながら、しばらく手をばたばたさせていた時、僕にも突然の閃きが走った。
「駆け足!」
瞬時に、親切な二人の意思を汲み取った僕は、大声で「ありがとう!」と叫びながらバス停に走った。
二人も、うれしそうに僕を見送ってくれた。
まるで映画のシーンのように、ちょうどバスがバス停にやってきた。
そう、イタリア流の駆け足のジェスチャーだったのだ、あれは。
こうして僕は、なんとかローマに戻る事ができた。
人と人とのコミュニケーションは言葉ではないことを肌で実感した、そして感動的な体験だった。
僕は、人と人のコミュニケーションに言葉はいらないと思っているが、それは、この時の体験が大きいと思う。
あの時の老夫婦に改めて、そして、心から感謝したい。
ありがとうございました。
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