先日、近所のレンタルビデオ屋さんで半額キャンペーンをやっていたので、久しぶりにDVDを借りました。
忙しくて、ちょっと疲れていたので、心が潤うような、ほのぼのした映画「ALWAYS 3丁目の夕日」、そしてちょっと趣きは違いますが「ドリームガールズ」を選びました。
一見なんの関連もないような2つの作品ですが、この2つの中に対照的な場面がありました。
まずは「ドリ-ム・ガ-ルズ」です。
とても素敵なミュ-ジカル風の映画で、昨年の話題作となっていましたので 、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
主人公はビヨンセ演じるディ-ナなのですが、同じくらい存在感を持つのがエフィ(ジェニファ-・ハドソン)です。
彼女は歌唱力抜群の、スタ-を夢見る女性ですが、同じグル-プのバックボ-カルだったディ-ナに、リ-ドボ-カルの座を奪われてしまいます。
ディ-ナ自らが望んでそうなったわけではなく、彼女達のプロデュ-スを買ってでたカ-ティスに、「これからはテレビの時代」と、ルックスの良さを理由にリ-ドボ-カルに抜擢されたのです。
面白くないのはエフィ。それもそのはず、実力は私の方が上、なのに何で私が後ろに
引っ込まなくてはいけないの!?と、不満噴出。文句は言うわ、TV収録の場から外へ飛び出してしまうわ、練習はスッポカすわetc・・・
あー、わかるよ、エフィ。そうだよね、悔しいよね。ルックスが良い、てだけで美味しいところ全部もっていかれちゃったんだもんね・・・。やさぐれたくもなる、てものです。
でも、エフィはやり過ぎてしまいました。
噛み付きまくった挙句の果てにメンバーとケンカ、恋人だったカ-ティスにもそっぽを向かれてしまいます。
でも、エフィは誤りませんでした。
そして、全てがエフィの周りから去っていきました。
これと対比するように感じたのが、「ALWAYS 3丁目の夕日」です。
昭和33年の東京の下町を舞台に、ほのぼのとした人々の交流を描いた物語です。
お約束通りの、結構ベタな展開ではあるのですが、観ていると顔の緊張が緩んで、肩から力が抜けるような、癒し系のお話です。
そして結構泣けます。
さて、この物語の主軸となる鈴木一家。ここの主”父ちゃん”(堤真一)は
短気で怒りんぼう。戦後、苦労して”鈴木オ-ト”という小さな自動車修理店を興し、
やさしい”母ちゃん”(薬師丸ひろ子)と息子の一平と、つつましいけれど幸せに暮らしています。
この店に、中学卒業と同時に青森から集団就職で上京してきた”ろくちゃん”が
働き始めます。
女の子なのに、特技が「自動車修理」ということで、父ちゃんが
採用したのです。
ところが、いざ働き始めると、ろくちゃんが全然“使えない”ことがわかってきます。
ある日堪忍袋の切れた父ちゃんが、いよいよ怒り出します。
「おまえ、”特技、自動車修理”と書いているのは嘘だったのか。この嘘つき!」
それまで我慢してきたろくちゃんも、ついに言い返します。
「オラが嘘つきなら、社長さんも嘘つきでねぇか。”自動車会社”って
書いてあったけど、ただの町工場の修理屋でねぇか!」
そう、ろくちゃんは、「自動車会社」と書かれていた就職先は、きっと大きなビルディングの会社で、自分はそこで働くんだ、と期待に胸を膨らませて「鈴木オート」へ来たのです。
しかし、実際は小さな町工場。思い切りガッカリしました。
そんな鬱屈した思いが、とうとう爆発してしまったのです。
ここで父ちゃんキレます!!
“怪獣ゴジラ”並みにキレまして、お向かいの駄菓子屋さんに逃げ込むろくちゃんを追いかけます。
周りの人が止めに入るのですが、父ちゃんの怒りは収まりません。家にとって返すと、ろくちゃんの荷物を2階の窓からバンバン外へ投げつけます。
「お前なんか、出て行けー!!」
放り出された荷物の中にあった、ろくちゃんの履歴書を見た一平が、大変なことを発見します。
「父ちゃん、これ見て!」
なんと、ろくちゃんの特技は自“動”車修理ではなく、自“転”車修理。そう、父ちゃんは一文字読み間違えていたのです!
父ちゃん、意を決して、お向かいの押入れの中に潜んでいるろくちゃんに謝ります。
「申し訳ない。この通りだ」と頭を下げました。
するとろくちゃんは押入れの戸をソロソロと開けて、「私の方こそ、社長さんにひどいこと言いました。
すみません」
この後、父ちゃんが告白します。
募集要項に“町工場”と書こうか“自動車会社”と書こうか迷ったこと。“町工場”と書いてしまったら、そこで終わっちゃうんじゃないかと思い、書きたくなかったこと。今はこんなに小さいけれど、いつか海外にだって進出したいという夢を持っていること・・・。この時ろくちゃんと鈴木一家との間に絆が生まれ、その夜はみんなで楽しく夕食を囲むことになりました。
エフィと父ちゃんの違い、それは自分が“やっちゃった時”、ごめんなさいと謝れたかどうかなのではないかと思いました。
もし父ちゃんが謝らなかったら、ろくちゃんは追い出されていたかもしれません。そしてお互いに後味の悪い思いだけが残ってしまったかもしれません。
もしエフィが謝っていたら、仲間と共に、引き続き芸能界で活躍していたかもしれません。
「ごめんなさい」と言えるかどうかで、その後の展開が全く違ってくるかもしれないのです。
ちなみにエフィは、その後も意地になってツッパってしまい、援助の手も払いのけ、ますます孤立してゆく人生を歩んでしまいます。
私自身はどうかというと、やはり素直に謝るのは苦手な方です。
エフィタイプですね。では昔からそうだったかというと、子供の頃はかなり素直に「ごめんなさい」を言う子供でした。
そうそう、近所の子達と遊んでいて、ケンカをした時はそのまま家に取って返し、茶ダンス(今で言う食器棚)をガサゴソやって、お菓子を探します。
そのお菓子を握り締め、遊びの場へ駆け戻ります。
そしてケンカした子に「あげる」と言ってお菓子を渡すと、それがもう「ごめんなさい」の印だったんですね。渡された子も「うん」といって受け取り、仲直り。これが当時の私達の謝り方でした。
よく考えれば、これって買収行為なのですが(爆)、当時はいたって単純だったと思います。
謝ることも、許すことも、子供の頃はとっても簡単でした。
それが何時の間に、こんなに大変になってしまったのでしょう・・・。
大人になる過程で、謝っても許してもらえなかったこと、罪悪感が強過ぎて謝ることすら出来なかったこと、とても傷ついたり、意地になってしまって相手を許せなかったこと。そんな経験を通して、謝ることがとても苦手になってしまいました。
そして謝らなくても済むように、相手のアラを探してみたり・・・。なんだか、書いているだけでも恥ずかしいですね。
でも、このふたつの映画を同時に見たことで、謝ることの大切さを改めて感じたのです。
私は、「ごめんなさい」と「ありがとう」、このふたつの言葉は、人間関係を良くする魔法の言葉だと思っています。
このふたつを適切に使うことができたら、人間関係の達人になれるのではないか?とすら思っています。
(「ありがとう」については、次の機会に・・)
「ごめんなさい」が言えなかった時、もしくは言わなかった時、その後自分が望むような展開が起きたか?というと、決してそんなことはなかったと思います。
逆にどんどんタイミングを逃して、関係が改善されないままになってしまった・・・なんて状況が、いくつもあったように思います。
そして素直に謝れる人を見ていると、とっても羨ましかったり。何故、て彼らはその後どんどん周りの人達とよい関係を築いているように見えるからです。
そんな時は、なんだかおいてけぼりをくったような、淋しい気持になったり・・・。
ですので今は、自分が“やっちゃった時”、勇気をもって「ごめんなさい」を言うように心がけています。
“やっちゃった時”ってピンチですが、よく「ピンチはチャンス」って言いますよね?
「ごめんね」を言うことで、ひょっとしたら今まで以上に相手との距離が近づくことだって可能かもしれないと思うのです。
何万語という難しい論文を書くより、完璧な言い訳を考えるより、たった6文字の「ごめんなさい」。これが言える方が、はるかにしあわせになりやすいのではないかと私は思っています。
「ごめんなさい」が言えたなら、きっとハッピーな展開が待っているかもしれませんね。
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