2月に実家の家族全員でスキーに出かけた。
祖母からはじまって、父母、弟夫婦と子ども、妹夫婦と子ども、僕たち夫婦と娘。総勢、14人の大旅行だ。
場所は、父の実家の福井県の山の中。
小さい頃は、夏休みなどによく父の実家に家族で遊びに行った。
近年は全く行っていなかったから、前にいつ訪れたか記憶にない。恐らく、10年以上はたっているだろう。
雪に覆われた山道を、父の運転で進む。昔もずっと父が運転してくれた道だ。昔と違うのは、10人乗りの大きな車に家族が大騒ぎで乗っていること。
それは、人数が増えただけにとどまらない、本当に大きな変化を感じるひとときだった。
思い返せば、その始まりは一昨年の夏にあった。
母が、一族みんなで旅行に行くと言い出したのだ。
最も忙しい僕の予定を聞くのもそこそこに、母は弟と着々と計画を進めて、その夏は、はじめて14人での大旅行が決行された。
その時は、まだ何かしらぎこちなかったところもあった気がする。
でも、それはとてもたのしい旅行だった。来年もまた行こうと誰かがいいだすのは無理もない話だったけれど、今思えば、家族の土壌が固まってきた証だったのだ。
昨年の夏は、予定通り、大家族旅行が、まるで何年も行なってきた恒例行事のように、行なわれた。
そして、クリスマスには、何の計画もなかったのに、急にクリスマス会をやろうと声がかかり、また集まった。
スキーの話は、その時にでた話だったが、母から予約をしたから予定を空けておくようにとの連絡が入ったのは、年が明ける前だった。
僕にとって、この事実は、今でも信じられないほどの幸せだ。
ただ、集まるのなら、毎年の年末年始にだってあったことだ。
けれど、そこには家族の絆がある。心が通い合っていることを、些細なやりとりの中で感じる。
僕の実家は自営で商売を営んでいた。
両親は夜遅くまで働き、そのため、僕たち兄弟は、両親と触れ合う時間がとても少なかった。そのために僕たちは寂しい思いをしてきた。
幼い頃の子どもにとっては、周りに辛い状況が起こった時、純粋な故に、その理由のすべてを自分のせいで起こっているのだと感じてしまう。自分は愛される価値がないから、一緒にいてもらえないのだという思い。
そして、恐らく両親もまた、子ども達に悪いことをしてきた、という思いを持っていた。
家族全員が感じていた「自分のせいで」という思い。
それが罪悪感となって、家族それぞれに距離を作ってしまっていたのだ。
いつしか、それは、家族に絆がないという思いに変わり、同時に、それは、欲しいのに手に入らないもの、になってしまったのだと思う。
僕が一番欲しかった幸せ。
そして、家族のみんな、それぞれが、それぞれの思いで欲しかった幸せ。
それが気がつけば今、ここにある。
では、家族の絆を取り戻せた理由はなんなのだろう。それは、僕が心理学を学ぶことで、僕自身の家族への思いが変わったからなのだと思う。
両親が僕たちに触れ合う時間がなかったのは、子どもたちを愛していないのではなく、仕事が忙しいあまりにしかたのないことだったということ。それどころか、子ども達の幸せのために、自らの身を削ってまで、働いてくれていたのだということ。
愛されていなかったのだ、という思いが誤解だったと気づいた時。
僕自身の心の中が大きく変わった。
本当は愛されていたのだ。
だから、自分は愛される価値がある人間なのだ、と。
人の心は、実はとてもシンプルにできていて、心の奥底で感じている感情が、態度や表情に出てくる。
それに気がついた僕は、知らず知らずのうちに、家族に対する態度や表情がやわらかく明るく優しいものに変わっていたのだ。
そうした僕の態度は、今度は、家族の態度や表情を変えていった。
着実に変化していっていたのだ。
変わっていないと思っていたのは僕だけで、確実に変化していったのだ。
両親だけでなく、兄弟が独立して、それぞれの家を持っていた、その家族にも変化は伝わっていた。
どの家にも。どの家にも。どの家にも。
「心理学をやって人生が変わらなければ意味がない」
僕は、最近、この言葉の重みを身をもって知った。
だから、はっきりと公言もするようになった。
人が変わる材料は、どんなことだっていい。
僕にとっては、たまたま心理学だっただけのことなのかもしれない。
けれど、人は必ず変わることができるし、求めさえすれば誰にでも与えられるものだと思う。
きっと、これからは毎年、こうして家族があつまっていくのだろう。
そして、この幸せの連鎖は広がっていくのだろう。
どの家にも。どの家にも。どの家にも。
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