●この歳になって今さら親に感謝の言葉なんてはずかしくて言えねえよ!ってわけでもないのかな、という話

 「もし悔いが残っていることがあるとしたら、生きている時に「ありがとう」って言えなかったことでしょうかね」
 知人の美容室オーナーが、お父さんが亡くなったことを話してくれた時のことだ。
 
 お父さんが病気で入院したのは最近のことで、けれど、先月、病状は悪化し危篤となり、
1週間後に、亡くなれたのだ。
 その1週間、オーナーはずっと病床で父親を看病していた。
 兄弟の中で、唯一、自由が利く職業だったから、それは本当に幸運だったと言いながら
 その時間は本当に貴重な1週間だったと話してくれた。
 父親は彼の父親は、自ら事業を興した人だった。
 とても苦労をした人だったという。
 そして、一心に仕事をする人だったという。
 オーナーもまた、自ら事業を興し、仕事を一生懸命やってきた。
 その原点は、やはり父親だった。
 1週間の間、あらためてそれを思い出した。
 そして、父親が今までしてくれたこと、自分達にかけてくれた愛情について、思い出し、どれほど父が愛を持って接してくれたかを感じた。
 それは、父親にお礼がいいたいとう思いになっていった。
 けれど、なぜか言えない。どうしてか言葉にできない。
 「ありがとう」
 それが言えたのは、心音が消えたその瞬間だった。
 オーナーの話を聴きながら、もし、自分の父親が倒れて、その最期を看取ることになったらどうするだろうと思った。
 そんなこと、具体的に考えたことがなかったことに気がついた。
 僕の父親は、愉快な人だし、話す時は大変饒舌になるが、自分の真の心の内を語ることは少ない人だ。
 
 父親が今まで苦労してきたこと、本当に辛かったこと、そして、僕自身が今まで生きてきて辛かったこと、してほしかったこと。
 そうした会話をきちんとしたことは一度もなかった。
 
 結婚式で、両親に感謝の手紙を読むかどうかについて、花嫁はいろんな意味で迷うというが、そうした何かに背中を押してもらう機会がないと、感謝の言葉というのは、なかなか言えないのだと改めて感じた。
 
 こんなに言いたいと思っているのに。
 
 熱い熱い何にも例えられないほどの思いなのに
 どんなに心の奥深くにしまってあっても、それに気づいてしまったら
 どうしようもなくなるほどの思いなのに
 
 それを表に出すことが怖いのだ。
 
 そんなことをしてしまったら、今まで恨み辛みだと思い込もうとしていたものが
 崩れてしまう。
 誰もが、自分が辛い現状を誰かのせいにしたいと思う。
 そのために、誰かのことを恨んでいたいと思う。
 
 けれど、その誰かだって、その時のしかたのない状況や心情があるかもしれないのだ。
 ましてや、それが親ならば。
 子を愛していない人などいないのだから。
 
 僕達は、誰もが両親に文句を言いながら生きているのかもしれない。
 そうすることで、今の自分でいられるから。
 でも、本当は、そうしているのは他でもない自分自身だ。
 文句は他の誰でもない、実は、自分自身に向かっての言葉なのだ。
 
 そして、そんな理屈をつけて、本当に大切なこと
 「愛されていたのだ」ということを感じないようにしているのだ。
 
 死の間際というギリギリの瞬間がこなければ言えないほどに
 その思いは深い。
 
 けれど、文句を感謝に変えたとき、それは両親だけでなく、自分自身をも救う。
 
 
 「亡くなった瞬間であったとしても、「ありがとう」の言葉は、きっとお父さんに伝わりましたよ」
 僕はオーナーにそう伝えた。
 オーナーは、笑顔でうなずいてくれた。
 
 ひとつのメイクが、ひとつのカットが、その人の人生を変えることがある。
 「美」と通して人々の心を豊かにすること。
 それを自分の人生の使命と語るオーナーは、それも父親の意志を継いでいるということなんでしょうね、と語った。
 お父さんの力を得て、そのビジョンは、ますます実現に近づいていくだろう。
 
 
 僕もこの夏、父と飲みにいこうと思う。
 言えるかどうかはわからないけれど、「ありがとう」の言葉を胸に。
 
 
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。