●Justice ~~~本当の「正義」~~~

 Dark Knight と言う映画を観ました。
いろんな面で評判になっていることもあり、この稿を書いている時点では上映中と言うこともあるので、その内容については触れません。
 この映画の主人公である『バットマン』に心魅かれて長いのです。
それはきっと、いわゆる勧善懲悪のヒーローではないから、という事に尽きると思っているのですが、今回は今まで以上にそのことを感じ、考える機会になりました。
 私の好きなヒーローにはもう一人、『ブラックジャック』と言う、故手塚治虫氏の手による作品の主人公がいます。
それこそ恋焦がれて長く(かれこれ30年を越えます)、財布の中には古びれたテレフォンカードがあったり、携帯電話にはストラップに待ち受け画面、と、お前一体いくつやねん!!と言う見苦しさ(?)です。
 どうやら、心の中に闇を抱え、自分なりの価値観を基準に、社会とはぎりぎりの調和を保ち(・・・時にははずし・・・)、命を守る、と言うところが最小にして最大の共通点ではないか。
私が心魅かれてやまないのは、そういったところなんだな、と、改めて感じています。
 話は変わりますが、カウンセリングをさせていただく中で、同じようなご相談内容に一見見えても、実のところは立場やクライアント様の成育歴や職業歴、家庭状況など・・・そして何よりも、個々の価値観によって、進めさせていただく方向性が変わってきます。
 ご夫婦関係・ご家族関係のご相談も多いのですが、
「(クライアント様の)おっしゃる通りでございます」
と言うような案件に措いてでも・・・、つまり、周囲の目から見れば、間違いなく、貴方は悪くありません、と言うようなケースでも、やはり100対0の交通事故のようなケースは、まずないと感じています。
 私自身の体験上でもそうなのですが、時には片方がまっすぐであろうとすればするほど、二人の関係性は崩れていく、歪んでいく、と言うことが少なくありません。
 そういう状況の中で、関係している人々がそれぞれ一番幸せな方向に向かっていけるためのカウンセリングを提供させていただく、と言うことは、言うは易し。
長い時間を要するように感じたり、思った結果(離婚する、もしくは離婚しないなど)が出てこない時や、負荷がかかりすぎる、と感じたり、と、解っていても進みあぐねます。
 
時には、
「ヒドイ想いをしているのは自分なのに、まだこれ以上しなければいけないの」 
「何で私ばかりが耐えなければいけないのか」
と理不尽に感じてしまう、という事に尽きるかもしれません。
 その時点で、浮気をしているのはご主人かもしれません。家事をしてくれないのは、奥様かもしれません。でも、そうではなかった時期のことを、少し思い出してみるだけで、どちらか一方だけが悪いということは案外少ないのかも、と感じていただけるかもしれないと思います。
 そのことが、進むきっかけになることは、案外多いものです。
もちろん、全く非がないのに、ヒドイ相手と結婚したものだ、という場合もないではありません。ただ、ご自身にも何らかの誘因がある場合も、実は意外と多いのです。
なので、誘因を探り、改善を試みれば、関係性自体の変化があることもあれば、必要でない関係性が終わりを遂げることもあります。
 
 さて、何故冒頭に「Dark Knight」や「ブラックジャック」を引き合いに出したか、と言いますと。
 世の中の仕組み、制度、法律、慣習etc.は、秩序を守るためにある。秩序の目的は、どんな人にも公平で公正な生活を守るためである・・・はずです。
 でも残念ながら、往々にして数の論理がモノを言ったり、差配出来うる立場の人たち自身の有利な運びになることが少なくないのは、私(だけではないと思いますが)の穿った見方・感じ方だけではないことを、遠く画面の中においても、身近においてでも、感じざるを得ません。
 
 考えてみれば、「仕置き人」「遠山の金さん」「黄門様」・・・こう言った時代劇の人気があるのも、どうしようもない現実が生んだことなのかもしれません。
 ・・・ついつい、見てしまったりするんですよね・・・。
 道徳、倫理は、法律よりも古いものです。
いわば、古い皮袋に新しい酒を注ぐ、と言うヤツですね。その内容は不文律であることが多く、心に響くものだからこそ、形なくしても伝わってきているのだと思います。
でも、だからこそ、例えば時代に支配され、新しい酒を注がれた皮袋は、時には裂けてしまい、解釈が違っていき、その事が守りたかったり伝えたかったことが、後回しの順番になってしまっていることを、日々思います。
Dark Knightを、人々が呼びたくなるのは、今在る状況がもはや本来の目的を逸れ、公正さを保てないどころか、公正さが招いてしまう歪みが出てきた時ではないでしょうか。
ブラックジャックが、医師免許を持たない事を知っても人々が手術を頼むのは、彼が何よりも命を重んじていることを感じているからではないでしょうか。
触法を良し、と私は考えていません。でも、規範が作った不公正・不公平が蔓延していることを、こういったヒーロー達は教えてくれている、と思います。
それよりも大切なものは何だ、あるとすればどうすれば守れるのか、と問いかけているのだと思います。
もちろん、理由があれば何をしてもいいんだ、と言うこととは一線を画しています。
理由失くして命を危める・殺めることはもちろん、論外です。
 
 ただ「その先」にあることが、より多くを守るためならば、と言うための選択をすることも時には必要なのかもしれない、と、思う昨今です。
 繰り返しますが、これは、触法行為、秩序を無意味に乱す行為のことではありません。
 
 カウンセリングの現場でのお話になりますと、例えば、離婚する決断をするにしろ、しない決断をするにしろ、置かれている状況での優先順位・・・例えば出来るだけ多くの人が幸せに向かう方向、と言う捉え方は大切だと思っています。
 ですが、その決断による、様々な責任(Accountability)が伴います。
こう言うと、お話が重~くなってしまうのですが、体験的に、後々に罪悪感を引きずらないで済むので、実は予後が良かったりします。
Account、つまり、自ら説明できるような生き方を選ぶことが大切、と私は考えています。
 バットマンもブラックジャックも、ややダークなヒーローですが、私が心を魅かれてやまないのは、そこに充分な説明的な要素があるからなんだろうな、と私は思っています。
 Jutice・・・公平、正当、正義。裁判官の意味も持ち、タロットカードの裁判の女神(または正義)。
 Just・・・公平な、合法の、ちょうど良い。
 この夏は、いつにも増して、いろんなことに・・・例えば本当の正義について、考える機会がたくさんありました。
 でも、今このことの先、そのまた先は、と考えることで、自分自身が何を優先して考えるか。そのことで起こり得る事はどんなことなのか。
 それを考えるのに、私はようやく成長が追いついたのかもしれません。
 私自身ももう一度フォーカスを絞って、これからの人生に何を守り、何を選んでいくかを考えていくことになるでしょう。
 何を選んでも、どんな生き方になっても、きっとその先にあるものは、ただ一つだけです。
 そんなことを思う、夏の一日です。

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