先日、奥さんとテレビの料理番組を見ていました。
イタリア風のカツレツの作り方を順を追って説明する内容だったのですが、できあがったそのカツレツがおいしそうだったんですね。
で、その時は「おいしそうだね~」で終わったのですが、その数日後、イタリア風カツレツが食卓に上がっているではありませんか!
早速いただくと、これがまたおいしいのです!
テレビを見ていた時は、レシピをメモするでもなく、何となく見てたので、テレビでやっていたカツレツが目の前にあるのにびっくりしました。
そこで、奥さんにどうやって作ったのか聞いてみました。
すると、奥さんはこう答えました。
『勘』
材料や分量は正確に覚えていないけど、「こんな感じかな」と、だいたいの感覚で作ったというのです。
何となく見ていたテレビの情報から「だいたいこんな感じかな」という勘で、こんなにおいしいものができるということに、僕はびっくりしました。
僕が作るとしたら、指定の材料を指定の分量で説明通りにしか作れませんから。
しかも、それでできたものがおいしいかどうかは……
その「勘」を働かすには、これまでの経験があるからであることや、舌が覚えている感覚を使うことも教えてくれて、大層感心したのでした。
そういえば、この人は携帯を新しくしても新しい電化製品を使う時も、説明書を一切読まずに使う人でした。
そして使い方がわからなかったら、説明書を読む代わりに、使い方がわかる人に聞くか頼むという人でもあります。
僕は説明書を熟読して納得してからでないと使えないし、自分で使いこなせるようになりたいタイプなので、その感覚的なところがすごいと思うと共に、女性を感じたのでした。
後日、友人が遊びに来たときにおいしいケーキを焼いて持って来てくれました。
とてもおいしかったので作り方を聞いている時、今度は奥さんが材料や分量をメモしていました。
「今度はメモ取るんだ」と言うと、「お菓子はきっちり計らなきゃおいしくできないのよ」と教えてくれました。
勘でやるところとそうでないところを使い分けるそのバランス感覚がすごいなぁと、またまた感心したのでした。
そのバランス感覚というのも、「感覚」ですもんね。
改めて、感覚で生きる奥さんと女性の偉大さを感じた出来事なのでした。
「感覚で生きる」
それは、過去の自分の経験を大切にし、過去と今の自分を承認することができるからこそできる生き方なのかもしれませんね。
それは素敵な生き方だなと思います。
こんなに身近にお手本になるような人がいて、僕はうれしいのでありました。