「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」の思い出

 僕たち夫婦が結婚した時、挙式の写真を撮影してくれたのが縁で親しくなった写真館のカメラマンに「1年に一度、美術館の庭で写真を撮りませんか?」と言われたことがある。
 場所はどこでもいいらしかった。ただ、美術館の庭のオブジェの前のように年月が経っても変わらない風景の前で家族写真を撮れば、年が積み重なる毎に変化する家族の様子がよくわかるから、という提案だった。
 結局、そのカメラマンの転勤によって、このお誘いは実現しなかったのだが、「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」というお店は僕たち夫婦にとって、その「いつまでも変わらぬ場所」のようなものだったのだと思う。
 「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」は、僕たちの住む地元にあるフランス料理屋だ。
 有名な料理評論家も紹介するこの名店が、この年末(2008年12月)をもって25年の歴史に区切りをつけ、店を閉める。
 このお店とのおつきあいは、もう20年にもなる。
 初めて来店したのは、確か21歳の時だった。
 当時から食いしん坊だった僕は、ある雑誌に連載されていた東京を中心とした料理の名店の企画を楽しみにしていた。
 ある時、その連載に突然、自分の住む地元の住所とともにフランス料理屋が掲載された。こんなお店が近くにあるのか!と感激した僕は、その勢いで予約をして来店したのがきっかけだった。
 今思い出しても、食いしん坊にもほどがある自分に笑ってしまう。
 マダムとソムリエを務める女性スタッフさんは、二十歳そこそこの僕たちを他のお客さんと区別することなく、温かく迎えてくれた。
 「おいしく食べられたら、どんな食べ方でもいいのよ」
 テーブルマナーも覚束ない僕たちに、マダムはやさしくそう声をかけてくれた。
 
 すばらしいサービスというのは、なにげない、空気のように人の心を安心させ、包んでくれるものだということを、このお店は教えてくれた。
 この道では有名なシェフも、若い僕らに気さくに声をかけてくれ、それからは、このお店にくるのが大きなイベントのひとつになった。
 年に1、2回しか行くことはできなかったのに、「年が積み重なる毎に」親しさは増し、いつしかこの場所は、僕たちの「いつまでも変わらぬ場所」になっていった。それは、変わっていく僕たちの変化を確かめられる場所でもあった。
 結婚の報告をした時には、待ってましたとばかりに喜んでくれ
 長くできなかった子どもを授かった時には涙をうかべて感激してくれ
 カウンセラーになった時は「困った時に相談する人ができた」と祝ってくれた。
 うれしい気分の時には笑顔で迎えてくれ
 つらい気分の時には笑顔で迎えてくれ
 どんな時も変わらぬ笑顔で迎えてくれた
 そしていつしか、僕たち夫婦は40歳を迎えた
 その今、お店は四半世紀の幕を閉じようとしている
 閉店を知って驚きを隠せず、慌てて来店した時
 あまりに変わらぬ笑顔に出迎えられた僕らは
 悲しみや寂しさでなく、笑顔になっていた
 
 僕たちは毎日なにげなく当たり前のように過ごしている場所がある
 それはなくなって初めて気がつくほど、当たり前の場所だけど
 その場所のおかげで自分たちがあったのだと気がついた時
 その場所は永遠になる
 そして、この先、生きていく僕たちの心の支えとなる
 
 働き詰めだったマダムとシェフは引退を決意し、これから第二の余生を送るという。
 「まずはゆっくり休んで、それから何をして過ごすか考えるわ」
 マダムはいつもの笑顔で答えてくれた。
 いつもと変わらぬ、お客さんとスタッフの絶え間ない笑い声が響く店の中で。
 
 このお店のことは僕たちの心の中に未来永劫生き続けるだろう 
 そして、今度は、僕たちが誰かの「いつもと変わらぬ場所」になっていこうと誓った年末だった。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。

2件のコメント

  1. ふと、コラムをみると大好きなフランス料理店の名が!!
    ママ友達とランチといえばこのお店でした。
    閉店残念ですよね。
    鴨のお料理や蟹のスフレ、デザートのフォンダンショコラ、シャーベット本当に
    おいしかった。
    つい嬉しくてメールしてしまいました。
    失礼いたしました。

  2. 先日、娘の誕生日に予約をしようと電話をしたら「取り外されています」と予想外のアナウンスが流れ、天パり「いや~!!!」と叫ぶ私。その様子を見ていた当の娘に何がなんだかわからず電話の応答を説明すると同時に、ネットでお店の名を検索すれば、最後の日の様子が・・・。もう泣きながら見るしかありませんでした。
    私もあのお店を知ったのはまだ10代の小娘の時。当時の勤務先の病院の奥様に連れていって頂き、フレンチ初体験。それからここのフレンチのとりこになり、貧乏OLの私はせっせと小銭を貯めては、ここのお料理を自分にご褒美としていました。
    その頃、付き合っていた、会社を立ち上げたばかりの彼(今は主人)は私と同様に貧乏。その上、ナイフとフォーク!?なんじゃそりゃ!と かしこまったお席は大嫌い!そんな彼を「騙されたと思って一度だけ一緒に来て!」と懇願し、やっと実現した当日、ママとソムリエ姉さんに「お行儀ができないのでごめんなさい」と予め言葉を添えました。
    いざ食事を始まるとガチガチの彼に「食事は楽しくするものよ、この料理もお箸で食べてもいいのよ」とママ。その言葉に肩の力も抜け、笑顔で食べ始めました。
    そんな日から20年、私たちも年に1・2度というようなペースでしたが、結婚、2人の娘の誕生、会社の軌道など、様々な私たちを伴ってあのお店に行っていました。
    自分へのご褒美という目的は、家族のご褒美というものに変わりました。
    何かがあると「ルミエールへ行きたい」と。
    今までも私の大好きなお店が閉店することがあって、残念だと思うことはあっても、こんなにも悲しく、泣けたのはあのお店のシェフ、ママ、ソムリエのナオ姉さんだったからこそ。今もこうしているうちもうるうるしてしまいます。
    あの店の、あの味をフレンチと信じて食していた私は他店の味を素直に受け入れそうにないくらい・・・。悲しみの中にもちょっと怨み節も混じってしまいます(T-T)
    こうして吐ける場所を探そうとルミエールの名を入れ検索していたら、池尾さんのコラムを見つけました。
    私たちと同じような年数、年齢であることと、自分たちの年輪を、同じようにあのお店の方たちに見てもらってたんだなぁと、嬉しくなって投稿しちゃいました。
    なんだか愚痴めいたというか、幼稚な感想ばかりでごめんなさい。
    ちょっとすっきり!(^-^)