冬の朝の光は、私の好きなもののひとつです。
乳白色に立ち込める優しい光。
いつもよりほんの少し、暖かみを帯びた情景。
他の季節にはない、美しさを感じるひとときです。
この自然の織り成す優しさに触れるとき、思い出すことがあります。
当時、私は医薬にかかわる情報室に勤務していました。
その仕事のひとつが、一般の方からのくすりの問い合わせに対して、回答をするというものでした。
当時はまだ、医療に関する社会的意識が向上しつつあるときだったためか、電話相談窓口は一般的に知られておらず、件数は少ないものでした。
それだけに、かかってくる電話は、非常に不安をかかえ、いろいろと調べあげて、相談窓口を知った、というものが多かったように思います。
病院や薬局ではなく、半ば公共的立場での仕事だったため、あくまでも「一般論」しか回答してはならないという制限がありました。
そして、健康への不安、漠然とした不安を抱え込んでいる患者に対して、感情を抜きにした一般的な医薬品の知識だけでは、とうてい対応しきれるものではありませんでした。
医療系カウンセリングを本で学び始めたのも、このころです。
服薬指導やセカンドオピニオンといった患者に対する啓蒙がようやく出はじめた当時、医療でのカウンセリング技術に対する認識は、まだまだ追いつかず、今ほど大きくなかったように思います。
毎日のように、かかってきて不安を訴える方。
慢性疾患で、回復の見込みがなく、同じやりとりが延々と続く方。
効果が感じられず苦しいといった訴え。
私には分かっていました。
彼らにとってみれば、健康と日常の生活が結びついているのです。
病気がどこまで生活や周囲に影響を及ぼすのか。
治療について語るのみで、不安は拭い去れるものではありません。
なんとか、かかわりを持ちたいと願いながらも、窓口が設立されたばかりの当時は、周囲の理解はほとんどといっていいほどなく、感情を切って一辺倒の回答をこちらから一方的にすることしか許されませんでした。
親身にかかわる方法も知りませんでした。
医療とはそんなものかもしれません。
けれども。
私に、何ができるのだろう。
いつも、そのことばかり考えていました。
そんなとき、ふと、窓をみあげた私は目を見張りました。
秋の夕暮れの景色が飛び込んできたのです。
一面のうろこ雲が鮮やかに広がっていました。
桃色、オレンジ、紫……夕焼けの色と空の柔らかい色合いと真珠のような雲の艶。
遠くの山が影のようになって、より空の美しさが際立っています。
この優しい情景に一瞬、心を奪われ、しばらく見入っていたのでした。
どれくらい、見ていたでしょうか。
ふと、不安でいっぱいになっている常連の患者は、この景色を見ているだろうか、そんな疑問が頭をよぎりました。
否、彼らには、きっと見えていないに違いないのです。
目には見えていますが、心には届いていないのです。
誰の目にも同じように、この美しさは広がっているというのに。
気にかかることで頭がいっぱいのとき、私たちはこうした周囲の景色など、何気ないことを見逃してしまいます。
同じ景色で、感動を感じられる心、感じられない心。
このときのひらめきは、私の心にゆっくりと染み込んでいきました。
そして、私は本格的にカウンセリングを学びに行くことを決めたのでした。
同じような景色は、いつかまた見ることができるかもしれません。
患者が回復したら、ゆとりが出たら、同じような景色をゆったりと味わえるのかもしれません。
それでも、今日のうろこ雲は、やはり他の日のそれとは違う、そう思ったことが私を力強く前に押し出したのでした。
私は、思ったのです。
その瞬間しか垣間見ることのできないであろう、たった今迫りくるこの美しさを患者に味わってもらいたい、と。
たとえ、周囲の理解が得られなくても、実際には制限があったとしても、自分がこころとのかかわりを学ぶことで何かしら変化があるのだとしたら。
やってみよう。
日常の当たり前に美しいものを、ただ、美しいと、感動できることのしあわせ。
それは、現在病気であったとしても、生活が苦しくても、悩みがあっても、感じることができる。
その強い信念が、今の私を支えています。
美しい景色に魅了されるとき、私はあのときのあの気持ちを思い出すのです。