昨年末に、孫が生まれた大門です。
かわいい!!とにかくかわいい♪
昔からよく、子供よりも孫の方がかわいいと聞いていましたが、これほどかわいいと感じるとは、思いませんでした。
しかし、自分が子供を産んだ時も、当然かわいいと感じていたのです。
そりゃもうかわいくて、自分が命をかけて産んだ子どもですから、かわいくないわけがない。
ではどうして、孫の方がかわいいと感じるのか?と、ちと考えてみました。
自分が子供を産んだ時は、先ほども書きましたが、命をかけて産んでます。
ものすごいリスクを負って、出産という一代イベントに望んでいるわけです。
10ヶ月間、様々な制約も受けました。
どうやって産み育てるのか?と、不安も乗り越えました。
言うなれば、大きな山を、数々の困難を乗り越えながらやっと頂上に辿り着いたようなものです。
頂上でプハーーーーッと生ビールを飲んだような状態!!
いつも飲んでいるビールと変わらないのに、なぜかおいしいと感じる。
それは、困難を乗り越えるというリスクを負ったからです。
だって、たくさんの困難を乗り越えた先のビールがまずかったら、やった甲斐がないじゃないですか。
ですから、困難の後のビールが、格別においしいと感じたいから、おいしいのです。
自分の想いが、いつもと変わらないビールを、おいしいと感じさせているわけです。
さて、孫の場合ですが、私はたいしたリスクは負っておりません。
めちゃくちゃ当たり前ですが、私が妊娠しているわけではないので、行動になんの制約も受けません。
産むということも、娘が出産するわけですから、私の身体にはなんのリスクもありません。
にも関わらず、リスクを負った子供の出産よりも、なぜ孫がかわいいと感じるのか?
一般的には、「責任がないから孫はかわいい」とよく言われています。
確かに、子供は産んでからが大変です。
「この子を幸せにしなきゃ」と思います。
子供を幸せにするのに、親としての責任が出てくるわけで、それがプレッシャーにもなると言われるわけです。
ところが孫ですと、育てるのは親ですから、ばーさんは責任を感じる必要がなく、その分プレッシャーもないので、単純にかわいいと感じる事ができるのだと言われていますね。
でもですよ、わたくし少し感じてみました。
「この子を幸せに」という想いは、ばーさんである私にもあるのです。
子どの時と同じように、やはり幸せになってもらいたいと思います。
そして、ここから先が子供と孫では、少々違うことに気付きました。
自分が親の立場の時は、「幸せにしなきゃ」と感じていたのですが、ばーさんの立場になると、「幸せにしたい」に変化しているのです。
これは、とっても大きな違いであります。
「幸せにしなきゃ」と感じているときは、「幸せにできなかったらどうしよう・・・」という怖れも隠れているわけで、その怖れから逃げるために、頑張って幸せにしようとします。
何かから追われている状態ですね。
追われている状態で、子供を見たら、確かにかわいいのですが、ゆっくりとかわいさを実感する余裕がありません。
ところが、ばーさんの立場ですと、「幸せにしたい」ですから、幸せに向かっていく状態なわけです。
何かに追われているわけではなく、ただ幸せに向かって進んでいる状態。
この状態で、孫を見ると、ゆっくりと余裕をブチかまして、かわいさを実感できる余裕があるのです。
「幸せに」という同じ目標に向かうのでも、追われるのか、向かっていくのかで、こうも違うのかと思ったのでした。
要するに、感じる側の心の持ちようなわけですね。
余裕があるのかどうかで、だいぶ違ってくるわけです。
みなさんも、「幸せ」を実感するなら、追われるのではなく、向かっていく余裕があると、より幸せを実感できるはずです。
私の場合も、二人の子供を育てた経験で、「幸せにする」というのは、恐れることではないと実感したから、余裕が生まれたわけです。
怖れから逃げるのではなく、超えていくことで、向かっていく余裕が生まれます。
レッツトライ!です。
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1件のコメント
非常に深いご洞察、感銘しました。
これから初めての子供を授かろうとしておりますが、「幸せにしたい」という気持ちで子育てに向かいたいなぁと思います。