少し寒さが緩んできました。
(この、コラムが皆様の目にふれる頃、もしも寒の戻りが来ていたらごめんなさい!)
春まで、もう少し・・・。
コラムを書こうと、決めてからはや5時間程度たとうとしています。
書きたいことが出てきては、自分の能力不足のため、構想は崩れ。
記憶がぽろぽろと抜けていく。
そして、ネットサーフィンに明け暮れる。
あーーーー・・・。
できないと感じる時は、人間、どんどん深刻になるものですね。
こういうときは、自分自身であまり気がつかないもので。
周囲の方の、笑い声に、「笑えない私」に気がついて、気持ちをリセット。
最近、悲しいニュースが目に付きます。
いわゆる普通の日常の先に、少し歯止があれば何かが違っただろうに、と思うことが多いです。
ですが、生活をしていていくつかの場面で、もしも、ひとつ選択が違っていたらと振返って思うことも。
わたくしの体験として、一番の恩恵は「ありえないことはない」と思えることだと思っています。
まさか、我が家に降りかかるとは!
まさか、職場がこうなろうとは!
まさか、私に降りかかるとは!
誰のどんな体験でも、普通のことってないけれど特別なことも、実際にはないと思っています。
個人の体験の大きさや特殊性は、人の体験と比べることでは何の意味も生み出さないと思いますから。
ただ、私の幼稚な固定観念は、おかげさまでぶっ壊していただいたように思います。
昔読んだ童話たち。
お姫様の立場でも、魔女であっても。
ポジティブな話でも、ネガティブな話でも。
どんな不思議な‘物語’でも、大人になれば、人生の比喩としてなんでもあり得るなと思うのです。
親にも先生にも、聞けなかったんですよ。
「裸の王様」の童話ってありますでしょう?
あの後、王様はどうなったのかしら?こどもはどうなったのかしら?大臣はどうなったのかしら?
誰も、酷いことにはならなかったかしら?
国を会社や家庭に置き換えたら。
意外と想像は難くなく。
裸だよ、と指摘されたととき、私たちが、もしも‘権威’を持っていたらどう対処するでしょうか?
権威者に対して、指摘をする‘こども’の親であれば、‘こども’に「でかしたっ!」とでも言うでしょうか?
大人たちは、どんな風に振舞うでしょうか?
大人の対処のひとつひとつで、本当のこの物語の結末は変わってしまうでしょう。
喜劇にも、悲劇にもなるでしょう。
「笑ってしまえ!」と思うのです。
王様が、「そうだよな」って笑えたら。
大臣が、「本当は知ってたんです」って笑えたら。
こどもの親が「あんたは間違ってないわよ」と笑えたら。
それは、喜劇にしかならなくて。
会社員時代に、営業をしてました。
あるとき、営業のスタッフが物理的に半分に減らされました。
そのうえ、お上の命令で、製品の自主回収が始まりました。
業務量は、うなぎのぼり、そこここで過労による退職や、交通事故、そのためにチームの崩壊を聞くような危機的な状況に。
考えに考えて。
(こういう瞬間に、いわゆる私の‘固定観念’はぶっ壊れるらしく)
「笑ってしまえ!!!」
とにかく、笑い倒す事に。人の揚げ足をとっては、けたけたと笑い続けテンションを守り続け。ある意味、失礼極まりない人だったかもしれません。
結果、ひとりの退職者もチームから出ず。
取り返しのつかない、体調不良を起こした者も出ず。
他のチームや、支店長から「不謹慎」と言われたこともありますが、生残るほうが大事だったんです。
「笑い学会」というのがあるそうですね^^。
笑うことを含めて感情をがまんしないことで、免疫機能が賦活化するのは最近では良く知られてきましたよね。
どんなに思い詰めた状況でも、気分でも、あなたに最後に残る味方は、難しく考える事で答えがもうなければ、感情や感性という本来もっているものかもしれません。
カウンセリングの現場で、私たちがサポートさせていただくのは、なによりもあなたが「感じていること」を一緒に「感じること」なんです。
どうか、人生を悲劇でなく、喜劇に・・・。
そんなお手伝いを、これからもさせてもらえると嬉しいですね♪