こんにちは、宮本です。
初コラムなので、やや緊張気味ですが、よろしくお願いします。
今回は、私が育った幼少期の宮本家のエピソードをひとつ・・・
厳しさとやんちゃさを兼ね備えた父、穏やかな、どこかお茶目な母の元で育ちました。
家には、色紙に書かれた家訓ならぬ、父のお気に入りの言葉が書かれた色紙が
所狭しと家の壁に貼られていました。
たくさんのことを子どもに残したかった父。
父の教えや決まりごとの意味は、そのときは難しくて分からなくても、
大人になるにつれて理解できるようになっていました。
だけど、一つだけ分からないものがありました。
『1食2膳』
食事1食につき、ご飯を2杯以上食べなさい。
というものでした。
「残さず食べなさい」躾もありましたが、それに追加して、何故「1食2膳」???
思春期の体型などが気になるお年頃の時期は、とても嫌な決まりごとだったのです。
むしろ、ご飯をお茶碗半分にしたい・・・そう感じたことも何度もありました。
2杯食べないことが見つかろうものなら、不機嫌になる父。
「お前らがしっかり食べないと、働いている意味がないだろう(怒)
そんなことなら、働かんぞ!!(怒)」
???
何故、機嫌が悪くなる??
だからって、何故働かなくなる??
当時の私には、怒られていることに気をとられて、父の思いが分かりませんでした。
しかし、少し巻き戻してみると答えは明らかでした。
父は、私たち家族がたくさん食べることで、働く意味を感じてきた人だったのです。
だから、私たちの食欲がないときには、働く意味を感じられなかったのでしょう。
両親は、戦後間もない頃に生まれ育ったので、その時代背景を考えれば、
今のように飽食の時代ではありませんでした。
だからこそ、家族に充分にご飯が食べさせることが出来ること=家族の幸せであり、
父にとって意味あることだったのかもしれません。
生きた時代や育った環境や人が違うと、幸せの形や事がらの持つ意味も変わっていきます。
だから、相手の行動の意図が分からないことやすれ違いもあると思います。
でも、そこには相手なりの思いや表現があります。
「自分」というカテゴリの中にはない思い。
それを感じた我が家の決まりごとでした。
時が経ち、実家を出て自立しました。
今では、「1食2膳」決まりごとではありませんが、この決まりごとを思い出し、
父の思いを感じるときに、怒っていた父の顔ですら、かわいらしく感じる今日この頃です。
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