みなさんは“お誕生日”っていうと、どんなことを連想しますか?
私は、30代最後のお誕生日を迎えるにあたって、自分にこんな質問をしてみました。
「もし神様が、何でもいいよって言ってくれたら、今年のお誕生日はどんな風に過ごしたい?」
そして、でてきた答えは
「1泊2日でいいから、自分のためだけに使える、自由な時間が欲しい」
「その自由な時間で何がしたい?」
「自然がいっぱい感じられる場所で旅行がしたい!」
ということで、お誕生日に長野県の戸隠に、一人旅行にいってきました。
どうしてそんな希望が出てきたのか、それは「今の生活が嫌になったから」というわけではなく、「自分にとって何が当たり前になっているのか」知りたかったし、「より明確な人生のビジョンを描きたい」と思っていたから。
このように、私はときどき、自分の当たり前になっている日常を飛び出して“それを見る”というプロセスを、趣味のような感覚でやるのが好きなんですね。
「本当に?」という疑問が、自分の中から湧きあがったとき、それを証明せざるを得ない衝動に駆られてしまう。
最近は、仕事やプライベートでも泊まりで出かけることが少なくないけれど、自分にも家族やまわりの人にも、意識的に許可をいただいて、純粋に自分のためだけに、自由に選んで、自由な時間を過ごすというのは、はじめての経験です。
見慣れたはずの、上信越自動車道の群馬から長野に抜ける、いくつものトンネルは、まるでタイムマシーンに乗って時空感を移動しているような、不思議な感覚に包まれながらのドライブの始まりです。
群馬県も長野県も同じように自然の多いところなのですが、道路わきに立つ、白樺の木々が「あぁ~、ここは長野なんだな」と実感させてくれます。
そういえば、亡くなった父がよく「白樺~青空~南風♪」と、“北国の春”を口ずさんでいたけど、長野生まれの父は、この歌に自分の故郷を重ねていたんだな、なんて思い返したり。
前日までのお天気予報は「雨」でしたが、予報に反して日が差し込んだ道路には、雨水が反射して光の道のようにキラキラと輝いておりました。
その光の道を辿るように車を走らせると、2時間半ほどで戸隠の中社近くの宿に到着です。
神社にお参りにいったり、宿にも同じように一人旅で来ている人を数人見かけましたが、「こんにちは!」とだけ、お互いに挨拶。
ここは、一人旅の人にも、そっと、ありのままに居させてくれるような優しい場所なんだなという感じがしました。
夕食を済ませたあと、近くの「神告げ温泉」にほぼ貸しきり状態で入浴。
帰り道の星空がとても綺麗で、首が痛くなるくらいに夜空を見上げながら宿にたどり着くと、倒れこむように眠ってしまいました。
その日見た夢は、とても不思議な夢でした。
分娩台で息んでいる母が産もうとしているのは、どうやら私自身で、その様子を、大人になった今の私が見守っているのです。
「お父さんはどこ?」
探してみても、仕事に出かけているようで、産院にはおりません。
父も母も、お互いに再婚同士。
前の結婚で母は、数回流産の後、離婚しました。
父もまた、子供を授かることなく1度、離婚しています。
そんな父と母が出会い、結婚し、貧しい暮らしの中で、はじめて母のお腹に命が宿っているのが分かったとき、二人とも泣きながら大喜びをしている姿が一瞬垣間見えたかと思うと、次のシーンで分娩台の母が、「お父さんががんばって仕事をしてくれているのだから、この子はちゃんと、私が元気に産まなければ!」と、陣痛と格闘しているのです。
長~い、長~~い、陣痛の波。
そして、誕生シーンを見届けることなく目を覚ましました。
「あ、これは夢だったのね」
目覚めたとき、汗びっしょりの私がいました。
朝食を早々に済ませ、宿を後にして、戸隠山を映し出す、静かな湖畔の鏡池、そして、奥社を目指しました。
奥社までの参道は、車を降りて、徒歩で2km程もある長い道のりです。
最初はなだらかな一直線の道から、だんだんと足場の悪い急な山の道になっていて、次第に息があがっていきます。
苦しくて苦しくて、「もうダメ!死ぬ~!!」と思いながらも、その様子は、まるで、産道を通り抜ける赤子のようでもあります。
「あと少し!がんばれ!」見知らぬ人に声を掛けられながら、やっとの思いで頂上の奥社の前まで登ると、急に視界が開けて、今までの苦しみをすべて忘れてしまうかのような開放感です。
まるで、生きながらにして、再び生まれたかのような喜びがこみあげてきました。
時計を見ると、誕生日の推定誕生時刻とほぼ同じ時間!(驚)
奥社からの帰り道は、生まれてから、今日まで、これまであまり思い出したこともなかった思い出シーンが走馬灯のように頭の片隅に映し出されました。
「あ~、ずっと忘れてたけど、そういえば、そんなこともあったよな」
改めて、思い出から受け取ったのは、「今こうして私が生きていられるのは、本当にいろんな人との出会いと、いろんな出来事から学び、成長してこれたからなんだな」
そんな感謝の気持ちと実感がこみ上げてきました。
参道を半分くらい折り返してきたところで、同じ宿に同じく一人旅で来ていた女性と遭遇。
宿ではほとんど会話することもなかったけれど、この日、この場所での再会がまるで運命の示し合わせのような親近感を感じて、すぐに連絡先を交換しました。
(その後、電話で交わした会話の中で、そのシンクロニシティーの意味することが何だったのかすぐに分かり、新たなご縁の始まりを実感することができたのでした)
奥社をあとに、気の赴くまま、いくつかのスポットや温泉を楽しみながら、再び上信越自動車道のトンネルを進んで行くと、リアルな日常が近づいて来るようでもありました。
早く帰りたくて仕方がない!というのは、私の人生に登場してくれている家族や仲間に、早く会いに行きたい感覚とどこか似ていました。
思い描いた未来を現実化するのは、いま何をすべきかをビジョンが教えてくれます。
ビジョンは心であり、体験です。
私たちがビジョンを選ぶとき、必然的に愛を選んでいるからなんだと思います。
あとは、ビジョンの方へ現実を引き寄せる、自分らしい行動や態度を示すこと。これが夢や希望を実現するコツなんですね。
そこにはもう、怖れや不安、疑いの余地のないものになっています。
人間というのは知らず知らずのうちに安定を求めてしまう生き物です。
ちょっとでも気を抜くと、変化を怖れ、今いる場所に安住してしまうのです。
平和的な安心感が悪いわけではありませんが、変化の流れの中で生きる私たちが、心の世界でいうところの同じ場所にい続ける限り、人間は成長できません。
また、思い描いて待っているだけでは、永遠にそのときは訪れないのです。
成長するためには、どうしても、今いる場所を飛び出す必要があります。
ですから私は、生活している中で、何かの節目に普段とは違う場所にいってみようと意識してしまうのかもしれません。
今回の「非日常の中で見つけた大切なもの」とは、当たり前の日常の当たり前でない喜びと感謝の気持ち、そして、新たなビジョンの始まりでした。
そして、過干渉気味でうっとおしく思っていた母に対する新たな理解と関わり方の変化が、いまの私にとっての大きな大きなギフトでした☆彡
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1件のコメント
感動しました☆!
素敵ですね//
本当にたくさんの要所要所に素敵だと思いましたが、夢からの素晴らしいギフトメッセージは感動しました。
ちょっと泣けました。
ご両親にとっては「命」以上の「宝物」だったのですね。
素敵な旅と夢と出会いを得て素晴らしいですね!(何度もすいません^^;)
ほんと、純粋にうらやましいです。