「自由と束縛、どっちを選ぶ?」
そう質問されたら、あなたはどう答えますか?
多くの人は、迷わず「自由」と答えられるのではないでしょうか。
でも、本当に人は「自由」を望んでいるのだろうか。
心理学を学んでいるうちに、この問いについて思いをめぐらす機会がありました。
その時に思い出したのが、以前このコラムで紹介させていただいた石坂尚さんの「石の花」というコミックです。
(池尾コラム「石の花と霧と夜」2008.参照ください。)
この話はとても複雑で、テーマもたくさん深く重いものを扱っている作品で、簡単に紹介することができません。
ですが、あえて、あくまで私個人の解釈でもって、「自由と束縛」について書かせていただきたいと思います。
舞台は第二次世界大戦中。ある二人の親友が全く反対の立場で生きていきます。
一人はナチスドイツの将校として、一人はナチスドイツを倒そうと戦う連合軍の一員として。
この二人は、全く違う立場にありながら、それぞれが真剣に世界が平和になるにはどうすればいいか、を考え悩み、行動していきます。
一人は「人は自由よりも、絶対的な正義を持つ支配者に支配されたがっているのだ。」と言います。
一人は「人は自由だからこそ人であり、支配の中には本当の平和はない」と言います。
自由。自由であり続けることはこの社会ではとても大変なのだ。様々な選択肢があり、何が正しく何が間違っているのかわからない複雑な世の中。だったらいっそ、誰かに身を預けて指示どおりに生きていた方が楽なのだ。
そう言われて、自由を信じる彼は、反論することができません。
私がこの話を思い出したのは、「人間にとって一番の怖れは幸せになることだ」という話を聞いた時のことです。
幸せになりたいと思うから、誰だって悩むし、あらゆる努力をするんじゃないの?
そう思いました。
けれど、よくよく考えていくと、この話はなかなかに説得力のある話でした。
もし、今の自分に突然、何億というお金がもらえることになったら
絶世の美女がそばにいて
なんでもやってくれる執事がいて
どんな地位も名声ももらえるとしたら
うーん。ちょっと怖いかも。
当時の私はそう思ったのです。
これは極端な例ですが、実は人は深層心理の部分で幸せになることを怖れていると言われます。
だから、様々な問題を心は引き起こしていきます。
もしそれが本当だとしたら、と考えた時に思い出したのが、先の「石の花」のこのシーンだったのです。
自由であること。
幸せであること。
それを望んでいない人はいません。
それなのに、なぜ、それが実現しないことが多いのでしょうか。
もしそれが、心の奥底では「実現しない」と思い込んでいるからだとしたらどうでしょう。
人は過去の体験から、自分に与えられるのは、こんな程度のものなんだと自らを束縛しています。
私の手に入る自由はこれくらいのものだ。
私の幸せはこれくらいのものだ。
でも、それは自らが縛っていることなのです。
真の幸せ。真の自由。真の平和。
それは理想だ、現実は簡単ではない、そう言う声もあるでしょう。
けれど、真の自由や平和を誰ひとり経験したことがないから、現実がついていかないのだとしたら。
そして、その実現を心の底から怖れているのだとしたら。
あきらめるのは、その怖れを取り除く作業をしてからでも遅くないのではないでしょうか。
私が心理学を学び、実際のカウンセリングの中で実体験として得たものは
自分を癒すことが怖れを軽くする、ということでした。
「石の花」の中で、先に書いた自由を信じる彼の弟が別のシーンでこんな言葉を言っています。
人には目に見えない翼がある。持って生まれたこの翼で、何も怖れることはなく触れてみましょう。
目を開き、耳をすまし、嗅ぎ、味わいましょう。
自由である限り何も怖れることはありません。翼は軽やかにはばたき続けるでしょう。
私は、ここにきて、信じられるようになってきたように思います。
その翼が存在することを。
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