以前、毎日のトイレ掃除に力を入れていたことがありました。
それも、素手でです。
ちょっぴり抵抗はありましたが、思うことがあり、やってみようと思ったのでした。
気合を入れて、除菌のできるピンクの化学ぞうきん(高額)を、わざわざ下ろしたほどです。
心理学的に見て、トイレは自分の中にある汚いもの(排泄物)、つまり自己嫌悪の象徴になります。
その自己嫌悪を大切に扱うという意味において、トイレの掃除は効果的といわれています。
おのれの自己嫌悪と立ち向かうために、トイレ掃除に取り組み……、といいたいところですが、当時、掃除が開運につながといわれており、中でも水周り、とりわけトイレのお掃除は金運を呼び寄せるという本が数多く出版されていた時期でもありました。
そう、トイレ掃除を始めようと思ったきっかけは、後者説による下心が大きかったことははなはだ蛇足ながら付け加えておきます(笑)。
とはいえ、トイレが清潔なのは、自分が気持ちいいものですよね。
冷え込みが続く冬場も、毎日、床や便器のまわりから便器の中まで、素手で掃除を続けました。
始めたころは、さすがに便器の中に素手を入れるのは、勇気がいりました。
名誉のために言いますが、キレイなんですよ。
ええ、十分キレイなんです。
それでも、やっぱり素手を突っ込むのは勇気がいりました。
ぞうきんは綺麗なピンクのままで、目に見えたヨゴレはないものの、そのあと、必死になってぞうきんをすすいだことを覚えています。
自分の体内にあったものなのに、自分の身体を離れると汚いものになってしまうのは、どこか髪の毛と似ていますね。
続けているうちに、気づいたことがありました。
毎日掃除していても、床とかは結構ヨゴレるんですね。
当時、昼間はほとんど外出して使っていなかったのですが、床を拭いたあとはぞうきんが真っ黒でした。
けれども、便器の中はあまり汚れないんです!!!
もしかしたら、一番キレイかもしれません。
考えてみれば、毎回流すのですから、使うたびに掃除をしているようなものですよね。
これは他のことにもいえるのかもしれません。
自分では嫌いだと思って避けたり隠したりしている部分に対して、キチンと向かい合って、手を伸ばしてみたら、実は、思ったほど汚いものではないかもしれません。
周囲を取り巻くものの方が汚いだけで、むしろ、自分が一番嫌っていた部分は美しいのかもしれません。
汚い表現で申し訳ないですが、私の心理学の先生は、よく、感情とウ○コは一緒だといいます。
ためると、大惨事になるけど、出してしまえばそれだけのことだと。
もう、私たちにとって必要のないもの、それが体から出て行くのかもしれませんね。
私自身、自分が嫌なものである、汚いものであるという観念がだいぶ薄れたのがこの経験です。
だんだん、ぞうきんを、必要以上にすすぐ時間が減ってきました。
汚いから避けなければ、という制限がなくなった度合いだけ、日常での気持ちが楽になりました。
気持ちが解き放たれたように、自由な感覚がありました。
そして、ただ単にトイレ掃除を続けただけなのに、自分を信頼できるようになったというか、心が安定してきたのでした。
自分との約束が、自分に力を与えてくれたようなそんな感じでした。
自分にもできるし、自分がそんなに悪いものではないのだ、と思えるようになったのです。
これは、予想と違い、始める前には想像できなかったような感覚です。
小さいことであったとしても、自分が「体験」したことというのは、どんな説明よりも、インパクトがあります。
それが、世間でよく言われていることであったとしても、以前から知識として知っていたことであったとしても、改めて言葉の意味を知る、そんな感じなのです。
こういうことだったんだ、というような。
私は、問題に行き詰まったとき、新しい分野に手を出すときには、いつでも基礎に戻って、小さなことを丁寧にすることにしています。
「これだけは」という最低ラインをきめ、単に続けるだけ。
もちろん、最低ラインの名のとおり、無理なく続けられる簡単なことで設定します。
実にシンプルです。
でも、一週間目、一ヶ月目、とバイオリズムがあって、やめたくなる時期があるんですよね。
もともと、簡単に続けられることで設定していますから、異常な負担や無理はありません。
文字どおり、精神面での自分との戦いないのです。
ふんばり続けると、底力のような自分への信頼が沸いてきます。
こうやって書くと、トレーニングのようでもありますね。
セラピーの現場でも、がんこなパターンを取り除いたり、未経験・未知分野のビジョンを引き寄せるためには、小さなことでも繰り返すことが効果的といわれています。
でも、案の定といいますか、一般受けしないんですよね。
内容が簡単すぎたり、地味なので、がっかりしてしまうのです。
でも、これほど手堅く、効果(配当)が高い方法はないと思っています。
続けられる要素は、そのこと自体を楽しむことかもしれません。
この掃除は、「素手でやること」と、「毎日やる」、というのが最低ラインでした。
それさえ守れば、使い捨てぞうきんを使ってもOKだったし、手を抜いてもOKだったのです。
例外なく毎日、1~2年ほど続け、私自身、大きく心に変化をもたらしました。
ちなみに、私は手帳に自分で自分を褒める「あっぱれ」コーナーを設けているので、毎日「トイレ掃除した♪」と書き込むのも、達成感というか、けっこう楽しい作業でした。
(単純ですね)
私にとっては成長と発見をもたらしてくれた素敵な体験でした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。