おばあちゃんと私~怖れの先にあったもの~

先月のシルバーウィーク、皆さんは、どのように過ごされたでしょうか?
私は、地元へ帰省しておりました。
そして、久しぶりに母方の祖母に会いに行きました。
私と祖母には、遠い昔に因縁の対決がありました。
それは、私が5歳になるかならないか頃、4歳上の姉と一緒に祖母の家にお泊りにいったときに起こります。
私にとっては、生まれて初めてのお泊り、ウキウキしながら行ったはずの祖母の家が夜になるにつれて、あたりは暗くなり玄関に置いてあるお面が黒光りし、だんだん怖くなって家に帰りたくなります。
とうとう、耐えられなくなった私は、
「ふえぇーーん、家に帰る、このうち怖―い(泣)」
こうなったら、居てもたってもいられません。もちろん、そこにいる保護者である祖母は出て行こうとする幼児を必死に止めます。
しかし、その時の私には、「怖いところに押しとどめようとする鬼ばば」にしか見えません。大人になった今なら、止めて当たり前だと思うのですが、出ていくことに必死な幼児の私は、とうとう暴言を口に吐きます。
「おばあちゃんなんか大嫌い!!もう一人のおばあちゃん(父方)の方がいい!!」
幼児にそれをいわれて、本気をだす祖母、
「私も、あんたのことすかんわね、あんたなんか泊りにこなくていい(怒)」
ガーーーーン、先手を打ったとは言え、幼児にはショックな一言でした。
結局、泊まらず母親に迎えに来てもらって家路についたのでした。
それから20年以上、私は祖母の家には行くけどもどこか近づきにくい存在になっていました。
でも、気になる存在でもありました。
おそらく、おばあちゃんに嫌いといった自分は好かれるわけがないというのがどこかにずっとあったようです。
だけど、祖母の様子は気になるので、祖母の家には時間があれば顔をだしていました。
そのうち、一人暮らしを始め、会いに行く頻度も次第に減っていきました。
そして、半年に一度くらいの頻度になったころに、あることに気付きます。
それは、ある会話の中にあった祖母の表情でした。
「めぐみは、何年ぶりにここに来たのかね?」
「半年ぶりだよ。○月に顔を出したよね?」
そして、その半年後も、またその半年後も、その半年後も、この会話は続きます。
半年が何年ぶりに感じるほど、首を長くして待っていてくれていたようです。
その会話をしている祖母は本当にうれしそうな顔なのです。
その嬉しそうな顔を見たときに、「好かれるわけがない」→「愛されている私」に変化していきました。
それまでの私は、拒絶されることが怖くて、顔をよく見ることができませんでした。
自分が過去に作った「好かれるはずがない」思い込みは、まやかしだったようです。
でも、それを解いてくれたのは、祖母の嬉しそうな顔でした。
20数年間怖くて見ることが出来なかった祖母の顔は、とっても愛おしい表情でした。
あぁ、今までもったいなかったなという思いつつ、勇気をもって顔をあげることができてよかったなと思います。
おばあちゃん、大好きだよ。
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この記事を書いたカウンセラー

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人間関係の築き方・コミュニケーションのスキルアップ・個性を生かすことを得意とする。 お客さまのテーマを多角的な視点でとらえて分析することにより、新たな視点や心の気楽さを持つことが出来ると定評がある。ゆるぎない安心感の基盤を基に行うカウンセリングは、心のうちを語りやすいと評価が高い。