「楽しむ」ことで 挫折が転機に

こんにちは。嶽きよみです。
コラム初登場ということで、ちょっとどきどきしながら書いています。
どうぞよろしくお願いいたします。
最近、自分の身の回りに ちょっとした変化が起こっていて、
なんだか 次のステップへの準備が始まったのかしら…なんて 思う今日この頃なので、
今日は、過去に起こった私の転機について書いてみようと思います。
わたし達の人生に何か大きな変化があるとき、
その きっかけは 「挫折」 であることも多いのではないかと思います。
後になって振り返れば、「あれは 必要な痛みだったんだなぁ・・・」 なんて思えたりもするのですが、
苦しみの真っ最中の時には その先なんて もうないようにさえ感じてしまいますね。
だって、今まで 当たり前だったことが そうではなくなったり、
今まで それなりにバランスのとれていた自分の器が無理やりに大きく広がるのですから、
そのとき痛みがともなうのは、ある意味当然なのかもしれません。
それが転機だったな、なんて思えるのは、たいていは そのもっとずっと後のことなのですから。
私にとっての そういう 挫折から始まった転機が初めてやってきたのは、
20代後半も過ぎた頃でした。
それは、意外にも、
私の人生で これ以上好きだと感じることは出来ないだろう、と 思うくらい
大好きな人に出会ったことによって始まりました。
私は、そのとき初めて 本気で人を愛したい、愛されたい、と思ったんですね。
そんなふうに思える人に出会うなんて、それはまさしく、幸せの絶頂でした。
ところが、
出会ったと同時に、今まで 気づかなかったり 放置していた 自分のネガティブな部分が、
もう、嫌というほど 次から次へと露呈してきたんです。
それこそ、コミュニケーションの問題、コンプレックス、自己嫌悪、嫉妬、弱さ、依存心…などなど、
自分が嫌っていた全ての部分が、あらゆる場面で顔をもたげてきました。
今思えば たぶん、その人に対して ハートをオープンにしようとするうことで、
その他の 自分が隠してきた部分が 一緒に出てきたような感じだったんでしょうね。
近づけば近づくほど、怖くて怖くて どうしていいかわからなかったんです。
それまで 何の問題もなく 強気に生きていた私でしたから、
まさか そんなところで壁にぶつかるとは思っていませんでいた。
子供の頃から持っていた 「理由のない自信」は 根こそぎ崩れ落ち、
自分に何が起こっているのか分からないまま、自分自身に振り回され、
恋愛も 仕事も みんな ぐしゃぐしゃになっていきました。
それまで、クールでドライでかっこよかった私(本当は、そう装っていただけなのですが)は
微塵もなくなってしまい、弱くて情けない 大嫌いなウジウジした自分だけが そこに存在していました。
そうして2年ほど のたうち回ったあと、私はふと 自分が少し興味を持てる 新しいことに出会います。
自分を責めることに疲れきっていた私は、まるで自分のネガティブさから目をそむけるかのごとく、
最初はゆっくり、いつのまにか どんどんそれに没頭していきました。
そして、それから 数ヶ月が経ったとき、私の人生はすっかり変わり始めていました。
そこにきてやっと、私は、全ての歯車が狂ってしまった大きな原因が、
自分自身が 心から「楽しむ」 ということをしなかったところにあったんだ、と 気づきました。
私はどこか、「楽しむ」ことを 抑圧しているところがあったんです。
彼との関係も、ただただ 楽しめばよかったのに、
じたばたと 恐れるあまり 彼自身をも苦しめてしまったということにも、やっと気づきました。
『自分が楽しむこと』 は、私にとっては、挫折が転機に変わる 重要な鍵でした。
ただ、その時も、いきなりふって湧いたように、最高に楽しめる何かが見つかった! ということではありません。
ほんの少し楽しい と思えることを、一つ、また一つ、と 積み重ねていくことで、
次の楽しいことが しだいにたぐりよせられてきた、という感じでしょうか。
たぶん、「楽しい」 という感覚は、与えられるものではなく、
能動的なときにこそ より多く感じることができるんだと思います。
そうして 私の次のステージが始まり、「楽しむこと」は、私のライフワークにもなっていきました。
でも、それで 仕事も恋愛もうまく行っていたはずの私の人生は、
また10年くらいたって30代が終わりに近づいてきた頃、挫折します。
(人生って そんなに簡単じゃないんですね。)
長くなるので内容は割愛しますが(知りたい人は、直接にでも聞いてくださいませ)、
次に私が手に入れたキーワード、それは 『自己表現』 というものでした。
私は、その10年の間に、自分が表現することをとても抑圧するようになっていました。
今度は、もう一度 「本来の自分自身を取り戻す」、というような課題がやってきたようです。
私は 以前から 色んな自己表現をしてきていたつもりでしたが、
実は、そこにも 表現することの恐れが まだまだ隠れていたんですね。
そこに向き合うことは、今までで 最も 「怖さ」を感じたことでした(私は本当に怖がりですね…)。
もちろん これは今もなお 追求中で、きっと死ぬまで続いていく研究分野だと思っています。
さて今度は、40代が終わりに近づいてくる頃に、また 何か挫折がやってくるのかもしれません。
でも、今度はもっと 自分から進んでそこに飛び込んでいけるような気がします。
いや、そうでありたい、という 希望ですが(笑)。
でも今は、少なくとも、挫折しても それが 転機と変わることを信じることが出来ます。
まぁ、そう 信じられるようになったことだけでも、
私が毎日毎日 泣いてのたうちまわった日々の元は取ったな、という感じでしょうか^^。
今回のコラムは、「自分が楽しむこと」 の重要さに気づいたときのことを書かせていただきました。
これから さらに、私自身がもっともっと 幅広い経験をして、
色んな視点からみなさんとお話が出来るようになっていきたいと思います。
「種の中に大木がある」 
この言葉を みなさんに 贈りたいと思います。
ほんの小さな喜びの中に、これから人生の主軸となる 大きな希望が隠れているかもしれません。
最後まで読んでくださって ありがとうございました。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

柔軟な視点で問題を捉え「人間関係」「自己表現」「セクシャリティ」に関する悩みを多く扱う。 特に、現役で自身のビジネスも続けていることから、やりたいことを見つける、夢を叶える、など自己実現のサポートを得意としている。 「見た目の印象とは違い、声に癒される」との声が多く寄せられている。