ある日の夕方の事でした。
窓の外は薄暗くなり始めています。
夕方の景色と言えば、綺麗な夕焼けが好きな人の方が多いかも知れません。
もちろん私も綺麗な夕焼けは好きです。
でも、雨が降る暗い夕方も好きです。
今の景色はというと、マンションのバルコニーから外を眺めるとどこまでも雨雲がたれ込めていてしとしと雨が降っています。
そして徐々に暗くなり始めた街に灯りがともり始めています。
その景色を眺めながら、これまでの自分をふと振り返っていました。
(ここで知らない間に心が時をさかのぼり、昔にタイムスリップ。)
妻と出会ってもうじき10年。
でも、よく考えると妻と出会う前って自分は何考えていたんだろう。
その頃の自分はどこに行っても、その場の人間関係において何か疎外感のような
ものを感じていました。
誰とも親密にはなれない、誰もが自分と距離をとる、仲間外れにされている感覚がとても強く、それならこっちも絶対近づいてやるもんか、という具合に内心周囲に対して敵対心を持ちながらも表面上はとてもいい人を演じていました。
(自分的には分離感を感じたことで、周囲の人達との絆が失われ、それにより距離
がうまれ、そこから様々なネガティブな感情を持ち易くなっていたようです。
そして更に周囲に対して距離をとるといった具合に悪循環にはまっていたのかもしれません。)
多分昔の自分なら同じ景色をみても、
「自分はあの灯りの仲間には加えてはもらえない。自分はアウトサイダー。
みんなの輪には絶対入れてもらえない。これは運命ではなく宿命、だから変えようがない。不幸な星のもとに産まれて来てしまったんだなあ。」
きっとこんな風に言った事でしょう。
この思いをどうやってぬけたのかは別の機会に譲らせて頂くとして、
今はその灯り一つ一つが暖かく輝いているように感じるんですね。
一つ一つの灯りの中には色んな人がいることでしょう。
家族の為に忙しく夕食の準備をする母親。
子供をお風呂に入れている父親。
パートナーと2人きりのゆったりした時間を過ごす人。
仲間で集まってにぎやかしている人。
或は一人嘆き悲しんでいる人もいるかもれません。
そして、自分もその中の一つなんだ、と。
思えば、妻とは知り合って結婚するまで、よくケンカもしたし、いじけられてウンザリした事もありました(ケンカは今もたま~にありますけど)。
けれど、なんだかそんなことで悩めるのがとても嬉しく感じられるんですね。
(ちなみに、新婚生活で最初に本気で争いとなったのは水道の取手の形状を巡っての意見の食い違いが原因でした。
今思い出すと笑い話ですがね。)
それに何よりも妻を通じて自分の世界はとても広がったと思います。
その中には彼女を通じて知り合った人たちもいたし、その中には後々バラバラになりかけた自分の家族の絆を取り戻すのに勇気をくれた人もいました。
そして、彼女の両親とも出会う事ができました。
特に、私は22歳の時に実の父を亡くしているので、もう生身の父親を身近に感じることはないだろうと思っていただけに、血の繋がりはないとはいえ、もう一度父親という存在に触れる事ができたのは、とても幸せな事だと思います。
これも彼女が自分にもってきてくれたギフトだなあとしみじみと感じます。
しとしと降る雨の景色を見ながらこんな事考える自分って、つくづく変な奴だなあと思います。
でもその景色を見て何を思い出すか、色あせたり美しく見えたりするのも、その人の心の状態次第なのかも知れませんね。
今日の私はしとしと雨でも妙に幸せな気分です。
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1件のコメント
北さんが幸せだと、私もうれしい♪
北さんの幸せ、私にも分けてね☆