この夏、実家に帰る機会がありました。
法事があったからなのですが、わたしには気の進まない帰省でした。
わたしは高校を卒業後、美容学校に行くために上京をしました。
それからは東京暮らしですから、すでに人生の半分以上を東京で過ごしていることになります。
美容学校時代ゴールデンウィークや夏休みになるたびに、帰省を楽しみにするクラスメイト達の心情を、わたしは複雑な思いで見ていました。
わたしは実家に帰りたくなかったから、です。
美容師の仕事を始めてからは仕事を言い訳にして、どうしても出なければいけない冠婚葬祭以外は、帰省しなくなりました。
気がつけば7年間も帰らないこともありました。
どうしてそんなにも故郷に帰りたくないのか?
素朴でとても美しい故郷でありながら、気が進まないのです。
それを言葉にするのは難しいのですが、「開けたくない記憶の箱」があるような気がするのです。
しぶしぶ帰っても、故郷は何も変わらずにそこにありました。
ただ、家族が何か違っていました。
駅まで迎えに来てくれた弟は、トンネルに入る前の料金所にいるおじさんに通行券をもらいながら「どうもありがとう」と言いました。
昔は挨拶すら苦手なシャイな弟だったのに、その言葉がとても自然だったこと。
夕食で焼肉を食べに行ったら、父がみんなの分の肉を焼き始めました。
「昔は、こんなことする人じゃなかったのに」と、わたしは眺めているのに継母や弟にとってはあたり前のように受け入れていること。
父に対してグチを言わなかった継母が、「一緒に出掛けたりしてくれないから本当にお父さんってつまらないのよね」とわたしに笑いながら言った会話。
かつてなかったことが、あったのです。
ごく普通にあたり前のように。
両親の離婚、その後の父の再婚が受け入れられずに出た家ですが、わたしが出た後も長い年月を経て、父・継母・弟は、家族というものを形成し直して来たのでしょう。
家族である姿がそこにはありました。
「わたしがいると、この家はうまくいかない」
18歳のわたしはそう思いましたが、「家族になること」を嫌い避けてきたのは、わたしだったのです。
どこにいても「根付くことが出来ない水草のようだ」という感覚を、いつも心のどこかに持っていました。
わたしは故郷と共に自分の存在を消してきました。
故郷に帰るということは、「家族であること」「娘であること」「姉であること」という、わたしの存在を認めざろう得ないことだったのかもしれません。
わたしはわたしとして存在することを、故郷は教えてくれました。
家族の中のひとりとして存在する場所があるということも。
わたしもまた長い年月を経て癒しを学び、心に形成し直して来たものがあったようです。
今度故郷に帰る時には、心を込めて言えるかもしれません。
ただいま!
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3件のコメント
愛子さん
ずーと前に一度、電話でカウンセリングしてもらった、たけとです。
泣きました。
心に入ってきました。
ほんと素敵なコラムありがとう。言えなかった言葉、少なくとも、コラム上では、言いましたね。聞きましたよ。 元気一番!!
素敵なお話ですね。
胸がほわん♪と温かくなりました。
私は今まで一度も「ただいま」って、言ったことがありません。
いつか、言えるようになるのかなあ…
とてもせつなくて、でもその後に、じわぁぁ~んとしたあたたかさがこみ上げてきました・・・。
いつもありがとう♪